参考資料
『よくわかる生命科学−人間を主人公とした生命の連鎖−(石浦章一著)』における自閉症の説明
(2002.2.18/2.22追加)
■自閉症とは■
私たち人間は社会生活をしている。そのために、自分の意思を伝え人の心を読むことができないと、社会にとけ込めないことになる。最近なぜか周囲には、自分の殻に閉じこもってしまい、他人とのつきあいや暖かい交流を拒む人たちが目立つようになってきた(図5−11)。
このような子供が多いことは確かである。他の子供と遊ばないことは言うに及ばず、自分の興味が一つのことに限られてしまい、そればかりを長時間繰り返す。なぜか状況に合わない突飛な行動をとったり、変なところで笑う、「どこいくの」と質問をしても「どこいくの」というように、そのまま質問がオウム返しになって返ってくる。人と視線を合わせないということや表情の欠落も特徴的である。これが大人になると、社会との交渉が困難になってきて、簡単なコミュニケーションがとれないことになる。数学や絵画などの特殊な能力を持つこともあるが、自分の殻に閉じこもるために友人がもてないのである。この病気を自閉症という。
■自閉症の診断■
昔は、幼児期に母親との結びつきが希薄で、母親から拒絶されて育った子供がこうなるのではないかと言われてきたが、どうやらこれは間違いらしい。大人たちが親しげに話しているのを見たある賢い自閉症児が語った言葉が、病状をはっきりと言い表わしている。「おかあさん、あの人たちは、目で話をしているの? 何て言ってるの?」
この話で明らかなように、自閉症の人たちは他人が何を考えて(感じて)いるかがわからないのである。子供が、「お母さん、ねえ、これ見て」といっておもちゃを持ってくるのは、母親と自分がままごとの空間を共有して、楽しみを分かち合いたいと子供が思うからである。自閉症児は、このようなことができないのだ。
有名なサリーとアンの実験は、このような子供を見分けることができるというので注目を集めている。子供に、5枚の続きの絵を見せる。最初の絵では、サリーとアンが一緒に部屋で遊んでいる。第二、三の絵は、サリーが持っていた小玉をかごに入れて部屋を出る絵である。第四は、アンがサリーがいない間に小玉をかごから箱の中に移している絵、そして第五の絵では、サリーが戻ってくる、という構図である。
ここで子供に、「サリーは小玉を探すのに、まずどこを見ると思う?」と聞いてみる。健常な子供なら、かごに入れて部屋から出たのだから、かごの中、と答えるはずである。なぜなら、アンが小玉をかごから箱の中に移したことは、サリーは知らないはずだからである。ところが9歳くらいの自閉症児でも、箱の中、と答えてしまう子供が80%以上いるのである。サリーが、事実と違うことを考えている、ということが推測できないのだ。当然のごとく、他人との接触に当たっては、言葉に裏がある(行間を読む)ことはできないことになる。
このような自閉症の割合は、1万人当たり約16人とされ、興味あることに人種、民族、文化、そして時代を超えて一定なのである。この事実から、自閉症には環境要因を越えた何らかの生物学的要因があると考えて当然である。どの社会にも共通に一定の割合で存在するものの典型例は普通の遺伝性疾患であるが、同性愛などもそうであるところが面白い。
現在では、軽い自閉症状は個人のパーソナリティとして許されているところがある。十分な経験を積めば、他人の心を読むことも可能だからである。自閉傾向にあるからといって、もちろん誰に迷惑をかけているわけでもないのだし、治してどうなるものでもないが、原因が知りたいと思うのは私だけではあるまい。
自閉症の人たちは、細かい断片的な事象にとらわれることが特徴であることは述べたが、脳に入ってきた情報を幅広く統合できないことも事実である。自閉症の脳内で何が起こっているかを調べることによって、私たちが普段行っている「心を読む」ということの実体が明らかになるはずである。このあたりの微妙な心の動きを解くような研究こそ、すべての科学の究極の到達点なのだ。
(2001.12.25発行/サイエンス社)
この文章には、たくさんの間違いがあります!
自分の意思を伝え人の心を読むことができないと、社会にとけ込めないことになる
自閉症は、「意思伝達と読心術ができない結果、社会にとけ込めない」人のことではありません。脳の機能障害のために、{人との関係性が特異である・実質的なコミュニケーションを成立させることが難しい・人と違う独特の感覚や興味や動機を持っている}発達障害です。社会性・コミュニケーション・想像力の三つの障害は、始めから組みになっています。
自分の殻に閉じこもってしまい、他人とのつきあいや暖かい交流を拒む人
「自閉」というのは、自分の殻に閉じこもることではありません。対人関係が下手で、失敗を恐れるあまり他人とのつきあいを避けている人でもないし、薄情な人のことを言うのでもありません。
このような子供が多いことは確かである
自閉症の概念が広がって、知的障害や言葉の遅れのない自閉症・より程度の軽い自閉症の人たちまで含まれるようになったことをさすのでしょうか? それとも、最近の子供たちの風潮のことを言いたいのでしょうか?
他の子供と遊ばないことは言うに及ばず、自分の興味が一つのことに限られてしまい、そればかりを長時間繰り返す
ましてや、友達と遊ぶよりも一人で遊ぶことを好む「現代っ子」のことでもありません。
なぜか状況に合わない突飛な行動をとったり、変なところで笑う
普通の人には何でもないようなことが、自閉症の人にはとても重大であったり、認知の仕方や感覚−知覚が違うために、表出される行動が社会的な状況(普通の人の共通認識)に合致していないことがあります。また、頭の中で過去の記憶が再生されることがよくあるので、その記憶に対して反応を起こしてしてしまうこともあります。笑うのは、普通の人にはわからない楽しいことが、今現に起きているか 頭の中で再生されているかのどちらかでしょう。
これが大人になると、社会との交渉が困難になってきて、簡単なコミュニケーションがとれないことになる
こういう子供が大人になって、社会との接触を避けるようになり、その結果コミュニケーションがとれなくなるのではありません。自閉症は発達障害です。幼児期(3才以前)から症状があり、発達(成長)過程で少しずつ変化を見せながらも生涯に渡って続く一貫した特徴を持つものです。
自分の殻に閉じこもるために友人がもてないのである
自閉症は、「引っ込み思案」「内気」「回避的な性格」「対人恐怖症」とは、全く違うものです。人との実質的な関係が成立しにくいからといって、人を避け全く孤立しているわけではありません。人に積極的に係わりすぎる人もいれば、受け身になりすぎる人もいます。友達を作ることに、さほど困難のない人もいます。
この病気を自閉症という
自閉症は、病気ではありません
自閉症の人たちは他人が何を考えて(感じて)いるかがわからないのである
自閉症の人たちは、人と違う感覚を持っていたり、人と違う認知の仕方をしています。入力される情報が質的に異なっているにもかかわらず、一生懸命、人と係わろう・世の中に係わろうとしています。感情のあり方も人と違っていますが、自分なりに人の感情を解釈して、ちゃんと反応しています。人と同じように感じていないかもしれないし、人の意にかなった対応ができていないことはあっても、決して人の気持ちを考えない人ではありません。
母親と自分がままごとの空間を共有して、楽しみを分かち合いたいと子供が思うからである。自閉症児は、このようなことができないのだ
自閉症児は、単に、楽しみを分かち合いたいという思いが欠如しているために、ままごとのような「ごっこ遊び」ができないのではありません。人は、人によって安心を得、人によって癒されるものだという前提をはずしましょう?
有名なサリーとアンの実験は、このような子供を見分けることができるというので注目を集めている
この実験は、『心の理論』課題と呼ばれているもので、自閉症児の状態を調べることはできるかもしれませんが、自閉症であるかないかを診断するための実験ではありません。
9歳くらいの自閉症児でも、箱の中、と答えてしまう子供が80%以上いるのである
この頃の自閉症児は、自分以外にも人がいることや、人は物ではないことは分かっています。しかし、自分以外の視点に立てないか、小玉の移動に焦点が向いてしまって、自分以外の人(登場人物:サリーとアン)を意識できていないことがあります。
サリーが、事実と違うことを考えている、ということが推測できないのだ
ましてや、人には「下心があることがわかっているかどうか」とか「嘘をつけることを知っているかどうか」を調べるテストでもありません。自分とは違う視点に立って、自分とは違う人の経験や知っているはずのことを、時間の推移を追って推し量ることができるかどうかを試すものです。自閉症の人が自己中心的なように見えるのは、わがままなのではありません。自分以外の視点に立てないか、自分以外の人の視点に立つことはできても視点の切り換えを頻繁にできないか、かなり意識しないと推移を追っていけないからです。
どの社会にも共通に一定の割合で存在するものの典型例は普通の遺伝性疾患であるが
自閉症には家系・遺伝的素因があることは、既に研究対象になっているはずです。
十分な経験を積めば、他人の心を読むことも可能だからである
自閉症者が社会に適応できたり、他者との交流ができるようになるのは、単に経験を積むからではありません。ましてや、読心術を学習するのでもありません。むしろ、他人の心を論理的に推論したり、いくつかのモデルを通してパターン化することで、場面を乗り切っていきます。
自閉傾向にあるからといって、もちろん誰に迷惑をかけているわけでもないのだし、治してどうなるものでもないが
ちゃんとした「自閉症」の研究をすることには、もちろん大きな意義があります。
私たちが普段行っている「心を読む」ということの実体が明らかになるはずである
自閉症の人とそうでない人の、他者理解や他者の心の認識の違いを明らかにすることで、脳のメカニズムのいくつかが解明される可能性はあるでしょう。しかし、「自閉症」の研究をしたからといって、読心術に長けることはないでしょう。(「サリーとアンの課題」を通過することを、「心の理論を獲得する」と言います)。他者の立場や視点を意識できるようになっても、全く同じ感覚を知覚していないし、認知の歪みは解消されないし、感情の持ち方も違います。これは、「心」を読める読めないの問題ではありません。
(2002.2.18)
(2002.2.22)
自閉症について詳しく知りたい人は、「よこはま発達クリニック」の解説もご覧下さい。