発達心理学的な視点から(健常児との比較)。
(2002.3.10〜3.17)
参考図書:『〈わたし〉の発達−乳幼児が語る〈わたし〉の世界』(岩田純一著/ミネルヴァ書房)
頁 | エピソード | 健常児の場合 | 私の場合(成育史とは無関係に記述) | 療育 |
8 | ダブルタッチ(生後3週間) | 自分の手で自分の身体に触れる時、触れるのと触れられる感覚が自分の内で同時に生じる。他(環境)から区別される自己の感覚を持っており、自己の所在感を感じることができる。 | 触れる感覚の方が圧倒的に強く知覚される。触れられている感覚を知覚する為には、意識的に切り換えなければならない。両方同時に知覚してしまうと、非常に不快になる。瞬間的に両方を感じてしまった時には、どちらか一方(自然には、触れている方)に集約すると、精神的に安定する。 | 皮膚によって、自分の内側と外側が分けられているという感覚を入力する。(単に、スキンシップというのではなく、触覚という感覚を入力するための刺激=マッサージ・くすぐりなどを与える。) |
12 | 人と物の識別(2ヶ月) | 人は、物とは違って主体性を持った存在であることがわかり、間主観的・相互主体的なやりとりが可能になる。 | 自閉症児の多くは、サイレントベイビーであることが多い。この時期には、育てやすくて楽だと思われているかもしれない。 | |
12 | 相互交換のパターン(3ヶ月) | 特定の人(主に母親)との相互交換のやりとりパターンが形成され、相手が期待される反応をしない時は、驚き・不満・抗議の表情を示す。 | ||
12 | 5〜6ヶ月 | 人への関わり方が、より能動的になる。 | ||
14 | 8〜9ヶ月 | 共同注視(視線の方向や指差す方向を見る)ができるようになる。三項関係・主観的自己感の形成。 | ||
15 | 生後1年 | 母親の動作を模倣する。母親の態度を自分の行動の指針にする(社会的参照)。 | 身体移動が可能になると多動、離乳すると偏食、といった問題が出てくる。 | |
16 | 生後1年 | 記号としての音声(言葉)を獲得し、意味の共同化という手立てによる自他交流が始まる。 | 人の発する言葉をパターンとして覚えることと、いろいろなモノを言葉に変換することに長けていた。しかし、言葉は自他交流の道具ではなく、場面の記憶に基づいて、一方的に発信するものだった。 | 睡眠障害があって、生活リズムが身につかない、他の子と違う行動をする・こだわりが強い(この時期だと癇が強いという感じ)・期待される反応が返って来ない・言葉がおかしい、といった特徴が顕著になる。 |
19 | 1歳半 | 鏡に映る自分を、自分であると認識できる。他者の視点を通して、自分の視座からは捉えることができない自分の不可視部分を補完して、自己の全体像を獲得しようとする。 | 鏡への忌避反応が、長く続いた。鏡やショウウインドウに映っている姿が、他者から見た自分であることに気づき、それに興味を持って見つめるようになったのは思春期以降。(どのように映っているのか、異様に気にした時期があった。だからといって、よく映るように努めたわけではない。) | 自閉症のことを知らないと、自閉症児特有の行動がみられた時に面食らったり、普通の反応を強制したり、強引な矯正を試みて、かえってこだわりを強くしてしまう。まずは、何に・どのようにこだわっているのか?/人との係わり方にどのような特徴があるのか?といった観点で観察する事が必要。 |
27 | 2歳 | 鏡像の自己認知が自明なものになる(「ルージュテスト」を通過する)。 | 鏡に映った姿は本当の自分ではない、とずっと思っていた。このような外見にとらわれずに、人の本質を見ることが、人間としての正しいあり方だと思っていた。ましてや、服装で自分を装飾することに夢中になっている人たちの姿を、バカバカしいと思っていた。 | |
29 | 3歳 | 他者とは固有の自己意識(自我)が芽生える。 | 自分の内に取り込まれた大人たちの声に基づく代理自我に対する、自分自身の声(自己意識)に気づく間もなく、「しなければならない」ことに必死だった。それは、身体の操作性が困難で、それだけで精一杯だったことと、自分で決めた“一日の内でやらないと気が済まないこと”に、ただ夢中になっていたからでもあった。 | 自閉症の特徴が、最も顕著に見られる時期。なかなか、身辺自立ができずに生活習慣も身につかないし、他児との違いが目立つので、親にとって頭が痛い。が、子どもに振りまわされて、息つく暇もないかもしれない。自閉症の知識のある指導者から、自閉症児との付き合い方をきちんと学んで、母子の信頼関係を成立させる事が大事。 |
153 | 3歳 | 意図的に嘘がつける。言葉で、ホントとは違うウソッコの世界(虚)を作り、楽しむことができるようになる。 | 幼児期には、叱られることを恐れて隠したり嘘をつかざるを得ない場面はほとんどなく、何故叱られるのか分からなかったことの方が多かった。でも、「言い訳をするな」「嘘をつくな」と言われたことがあった。 | |
121 | 3歳 | 自分の性別を意識し、〈男の子らしさ〉〈女の子らしさ〉といった性差が現れてくる。 | 性別を超越している。(あまり、“らしく”ない人が多い。) | |
45 | 4歳 | 回顧的な自己・時間的に拡張された自己覚知ができる。時間的・因果的に繋がった自伝的な経験を語り始める。 | とにかく、よくしゃべっていたが、自分に見えているものを解説したり、ありったけの知っていることを並べているだけで、自分のことを語っていなかった。でも、それを自分の意思や意見であるかのように勘違いされて、面食らうことが多かった。(意味記憶を集積していただけで、私的で個人的な出来事のエピソード記憶はほとんど集積していなかった。) 自分の体験を他者に語り、それが他者によって意味づけられる必要を感じたことはない。自分の体験は、自分の体験であり、他者になんと言われようと、自分にとって重要なものだと思っている。他者は自分の鏡であるなどということはなく、他人は他人・自分は自分だと思っている。相手が自分と同じ経験をしていることを知ることはうれしいが、それを語り合ったからといってそれ以上の感慨はない。 |
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46 | 4歳 | 他者が誤まった信念を持っているという、「心の理論」課題を通過する。 | この時期の自閉症児の様子は、ほとんど周囲の環境を超越しているかのようで、「心の理論」課題を課してみるどころの状態ではないはず。 | |
62 | 4歳 | 過去の〈わたし〉の出来事に登場する〈あなた〉を根にもつようになる。 | 他者は、その場限りのデータの集積以上のものではない。他者は、自分の生活史に予定として組み込まれることはあっても、他者の生活史の流れの中に自分がどのように配置されているかなどということは、考えたこともなかった。 自分の目の前に存在している〈あなた〉と、〈あなた〉から発せられて自分の記憶に残った〈あなた〉だけが〈あなた〉であって、目の前から消えた〈あなた〉そのものを意識し存在を保持するには、莫大なエネルギーを要する。 〈わたし〉に係わって来た〈あなた〉が自分の予想外の反応をして来た時には、その侵入感で満たされてしまい、他のことが何もできなくなるほどの不快感を感じることがある。ただし、それは、侵入経路違反をされた時だけで、通常は起きない。(こちらが無防備な状態で、自分とまったく正反対の人か良く似すぎている人に過度な係われ方をされた時に起きる。) |
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66 | 4歳 | 欲求と意図が分化する。大人の指示や命令のもとに、自己の行動を調整しようとする。大人に「〜と言って」というような指示を出すことを要求し、それに従って行動しようとする。 | このような、大人(指導者・権威者)の言葉による「縦・従属的な関係」によって、人は自分の行動を規定するものだと、40歳まで思っていた。その時まで、人物Aについての知識とは、人物Aが語っていたことをそのまま言うことだと思っていたし、「良識ある権威者がこう言っていた」とか「ことわざ・格言にあるように」と言えば、人は有無を言わさずその指示に従って行動すると思い込んでいた。 | |
173 | 4歳 | 他児を見習ったり共同作業をするという形での、社会的な相互作用が可能になる。 | 人に言われる前に人のやっていることを盗んで先回りしてやってしまうと誉められたし、それでいいのだと思っていた。 | |
181 | 4歳 | 〈わたし〉の中に〈あなた〉の視座を組み込んで、周りに合わせながら自分を統制できるようになる(自己の社会化)。 | 幼児期には、場面ごとに、大人から言われた「してはいけないこと」を記憶して、それを頑なに守った。 思春期以降は、〈あなた〉の視座が自然に〈わたし〉の中に組み込まれるのではなく、観念的な他者一般が、一般的な人に対して抱く批判的感情という不文律に、常に自分が規制されている状態が長く続いた。(それを壊したのは、自分が自閉症で、状況依存的な言葉使いや役割行動以外に、自分に固有の言葉使いや行動様式があっていいことを知った後だった。) |
少しずつ周りが見えてきて、自分が周りの子どもと違うことに気づいたり、自分にとってイヤな場面を回避しようとしたり、過剰に緊張し始めるようになる。 |
186 | 4歳 | 仲良しグループが形成される。が、支配−服従関係や共依存関係なども形成されるようになるので、手放しにできない。 | 何かの話題について話せる人とか、いつも話を聞いてくれる人(もしかしたら、いやいやだったのかもしれない)に、いつも自分から話しかけた。でも、人と人との関係ではなく、話せる人でしかなかった。 社会に出られるようになった時、自分が学んだ「人に対する関係の仕方」が実は「徹底的に相手を王様気分にさせる方法」であり、自ら進んで「支配−従属される関係」に自分を陥れていたことに気づいたのは、42歳の時。また、普通の人がそのような関係になる場合は、弱みを握られているか打算がある時に限られていることを知ったのも、その時。 |
他児とのトラブルの原因が、ちょっとしたいざこざの域を出て、集団との係わり方や人との関係(支配−従属関係や、特定の子どもに目の敵にされるなど)に根ざしたものに変わってくる。 |
66 | 5歳 | 大人の指示や命令なしに、自発的に行動を調整できるようになる。 | 常に、誰かが言った言葉や書かれた言葉の指示が必要。それらの言葉を見聞きすると、自分の行動を後押しされているような気分になって、突っ走ってしまう傾向は治らない。(その言葉が、自分と実際に関係している人たちの間で通用していようといまいと、全く頓着ない。) | 認知の偏りや感覚的な特異性が、ハッキリとして来る。言葉の有無に係わらず、それらの入力情報の特徴を把握し、同じ地平に立ってみることが大事。 |
96 | 5歳 | 〈われわれ〉〈わたしたち〉〈うちのかぞく〉といった仲間意識を持つようになる。 | 社会的な単位と言われている集団に、帰属意識を持ったことはない。常に、自分は違うと思っている。なのに、自分一人なのに「われわれ」という言葉を漠然と使うことは、よくあった。 | |
112 | 5歳 | 「その子らしさ」や一般的な性格特性として他者を捉えられるようになる。 | ||
128 | 5歳 | 他者との関係性の中で〈わたし〉を相対化するとともに、その中でも変わらない〈わたし〉の独自性を意識するようになる。 | ||
135 | 5歳 | 「〜さんが遊んでくれなかったから悲しかった」「〜さんが遊んでくれてうれしかった」というように、過去の出来事で経験した感情を思い出して回想的にとらえることができるようになる。 | 「〜さんが遊んでくれないのは、ケチだから」「〜さんが遊んでくれたのは優しいから」というような分析をすることが多い。或いは、単純に、「用事があって遊べない」「用事がないから遊べた」というとらえ方しかしない。 | |
155 | 5歳 | クイズやあてっこゲームなどを楽しむようになる。 | 筋書き通りに進展する問答は、結構好き。でも、筋書きを外れると怒ってしまうか、問い掛けをやめてしまうかのどちらかになってしまう。 | |
162 | 5歳 | 「なぜ?」「どうして?」と、因果関係を問いかけたり、考えたりするようになる。 | 疑問に思うと、自分で本を探して調べてしまう。丸暗記して納得するよりも、答えがあることがわかっただけで安心してしまうことが多く、本当には分かっていないことが多かったように思う。説明しろといわれても上手く言えず、図鑑などを持って来て「ここに書いてある」と言って見せていた。その名残が、他者の言葉や本からの「引用」の多様になっている。 | 関係性の理解は一般に遅い。因果関係の理解は、最も遅れる。 |
166 | 5歳 | 人に頼んでやってもらおうとするだけでなく、やり方を教わって自分でやろうとする姿勢がみられる。 | 頼みもせず、教わりもせずに、自分でやろうとする(してしまう)ことが多い。 | |
168 | 5歳 | 人に「教える」ことができるようになり、「教えてあげようか」と語りかけるようになる。 | 「教わる」のは大嫌いだが、「教えてる」のは大好き。でも、ほとんど余計なお世話かも? | |
174 | 5歳 | 言葉を仲立ちとして、教え・教わるといったやりとり(社会的相互作用)ができるようになる。 | 「社会的相互作用」の具体的な意味を、左の文で始めて知る。なるほど、できていない! しかし、社会的人格でいる時には、ほとんどの出来事が私にとっては借り物で、どうでもいいことだったりするので、折衷案や“言葉の足し算・引き算”を練り出すのは、かえって上手だったりする。が、私の出した“言葉の足し算・引き算”が承認されない時には、それ以上の感情や意図を込めようとして討論しているのだということを知らなかった。(どうして、どうでもいいことで、いつまでもモメているのだろうか?とイライラしてしまっていた。) |
言葉が使えていても、使えていなくても、社会的相互作用ができているかどうか・実質的な人間関係が成立しているかどうか、という観点でみることが大事。 |
131 | 6歳 | 人は自己の本音を隠し、みせかけの表情を取り繕うことがあることを、理解できるようになる。 | 言葉による虚構・ファンタジー・物語は大好きだが、自分の本音を隠して本当のことを言わないのはいけないことだと思っていたし、そういうことをする人をよく糾弾していた。 | 自閉症だから何もわかっていない・どうせできないと決めつけずに、子どもの「育ち」をゆっくり見つめることが大事。 |
133 | 6歳 | 過去の出来事を思い出して、そのときの感情がよみがえって今に体験されたり、他者との過去の出来事を根にもってかかわるようになる。 | 自分の記憶の中に刻み込まれた“自分を脅かす他者”は、半永久的に消えない。不安・恐怖が強く、精神状態が悪くなると、ちょっとしたことで想起され、想起が想起を呼んでパニックになる。 | 過去の出来事のフラッシュバックは、不安・恐怖が強いと頻繁に起こる。安心できる環境があるか・楽しいことをたくさん経験できるか否かで対人関係の基盤となる心理状態が決まってしまう。 |
136 | 6歳 | 自己の感情状態やその変化過程を分析的・自覚的に認識するだけでなく、自己感情の統制や調整が可能になる。悲しい時に、その悲しさの原因を考えないようにする、といった感情のやりくりができるようになる。 | よく、無表情とか、冷静で落ち着いていると言われることがあるが、それは非自閉者が感情的になったりその感情を態度や言葉で表出して大騒ぎになる場面で、同じ感情を持たないために同調しない(場合によっては、そんなことで騒ぐのはおかしいとさえ思っている)ことが多いため。本当の自己感情が生起する場面(非常に個別的でユニークな感じ方をしている)では、ほとんど統制がきかない。 | |
177 | 6歳 | 相互の議論や反論のなかで、まったく新たなものが相互に学ばれるという、協同的学びが成立する。 | 相互の議論や反論が行われている場面に居合わせると、混乱する。議論の過程には無関心で、傍観し、早く結論が出るのを待っている。自分の意見を述べることはあっても、主張すると言うより、言い放つだけのことが多い。(本当にやりたい事は、人と討議するまでもなく、自分でやってしまう。) | |
140 | 6歳 | 自分が自分に向かって言い聞かせる、自己内対話(内言)ができるようになり、それによって自分の行動を制御・調整する。 | 自己の内と外の意識がないので、自己内での思考内語であるはずのことを、全て音声言語にしてしゃべってしまう。誰しも、声に出して人に言う前に、様々な方面から考えてみたりもすれば、ただの思い付きや状況に相応しくない考えなどもたくさん浮かぶものだが、普通は頭の中で声に出さずに検討することを、全て声にしてしまう。だからといって必ずしも人に相談しているわけではないのだが、普通は人に言わないことを言ってしまうために突っ込まれたり、批難されたりしてしまう。 | |
195 | 中学年 | 自分の評価や他児との比較が、重大な関心事になる。競争意識が芽生え、相対的な位置付けを気にするようになる。 | 相対的な位置に置かれる気配を感じた瞬間に、さっと逃げ出してしまう。 | |
196 | 中学年 | 内面的な人格特性を記述できるようになる。 | 専門用語を使って、内面的な人格特性を分析するのは、好き。 | |
201 | 中学年 | 自己を批評するとともに、他者へ批評的なのなざしを向けるようになる。大人の人間性を評価したり、口ごたえするようになる。 | 自分のことは棚に上げて、人には目についたことを指摘する。 | |
202 | 中学年 | 人には、良い面も悪い面も同時にあるといったような、統合的な人格の認識が可能になる。 | 通常の精神状態の時は状況依存的になりやすい。過去にどんなことがあった人でも、ニコニコしていれば“良い人”、キツイ顔をしていれば“悪い人”と認識されることが多い。 いつも険しい目をしてにこやかな感じがしない人、しゃべり方のキツイ人は、常時恐怖対象になるために、正当な反応ができなくなる。(ただ体調が悪いとか、話し下手なだけかもしれないが…。) |
人について批判したり評価する様を観察すると、善悪の基準が表面的・短絡的(こういうことをする人は悪い人・欲しい物をくれたから良い人、という具合)なことがわかる。「人には、良い面も悪い面も同時にある」ことを、折に触れて説明しつづけることが必要。 |
206 | 中学年 | 感情の相対的な程度の違いや、そこに至る経緯によって生じる差異を区別できるようになる。 | 普段は、感情を差し挟むことなく冷静に推論できるために、正論を述べることができる。そのために、悩み事を相談されることもあるし、問題解決能力があるかのようにみなされることがあるくらい。 しかし、感情に対して感情をもって応えなければならないような場面や、感情に対する気遣いの言葉をかけなければならないような場面では、マニュアル通りの形式的な受け答え以外は、全く何もしゃべれなくなってしまうことがある。 |
物語(国語の学習や読み聞かせなど)や実際の出来事などを利用して、「感情の相対的な程度の違いや、そこに至る経緯によって生じる差異」をできるだけ多く説明する機会を設ける必要がある。 |
210 | 中学年 | 自己責任性を認識できるようになる。 | 自分から能動的に行動している時は、非常に強く責任を感じすぎるために、人に任せたり分担できないことを責められることが多い。しかし、受動的な時は、「させられ感」が強く、態度や発言が無責任に見えることを批難されてしまう。 | 能動的な時には自信過剰になって反省できないことがあるかと思えば、受動的に何でも背負い込んで一人で混乱し苦しんでいることがある。どちらの場合も、早く発見してアドバイスする必要がある。 |
213 | 中学年 | 自己の同一性が拡張され、ともだちや家族の行動に対して自分が恥かしさや責任を感じるようになる。 | 「人に恥をかかせた!」と責められた時には、「私は自分の責任で行動しているし見通しも立っているのだから、自分の責任を問われれることには意義を差し挟むつもりはない。なのに、何故、私でない人に恥をかかせたことになるのだろうか?」と疑問に思った。私が、普通の人にしてみれば心情的に考えられないことをしたらしかったが、それもよくわからないところに持ってきて、家族や同じ役職にある者として「恥」を感じたことを批難されたので、二重にちんぷんかんぷんだった。左の文を読んで、始めて納得した。 | 自分のしたこと・言ったことで生ずる世間との軋轢を、{自分のことを分かってくれて・自分を守ってくれている}人が、背負っていることが分かると、「愛着」関係が成立する。自分で気が付くようになる子どももいれば、はっきりと分かるようにアピールする(演出する・そういう場面を見せる)ことが必要な子どももいる。 |
214 | 中学年 | 仲間の目を意識した自己呈示をするようになる。 | 仲間の目を意識した自己呈示をするなんて、肝っ玉の小さい人がすることだと思っていた。 | |
218 | 中学年 | 他者に見せる自分(公的な自己)と、他者に見せたくない自分(私的な自己)に二重化してくる。 | 社会的な〈わたし〉は、常に状況依存的で、他者に対する自分とか、役職としての自分でしかないため、自動運転状態の自分を自分で傍観していた。よく「すごいこと言っているなあ。」と、自分に向かって関心したものだった。社会的な〈わたし〉でいなければならない相手が目の前に現れた時だけ、そういう素晴らしい自分が現れるのが不思議だった。誰かがスイッチをいれてくれない時の自分は、「どうしてこんなに情けなくて、だらだらしているのだろう?」と思って、奮起しなければと思うのだができず、自分を責めていた。 | |
199 | 高学年 | 自分の存在をめぐる問いかけをするようになる。 | 自分は他の人と違う「宇宙人」だ、と思うようになった。 | この頃までに、診断名を告げる告げないの問題ではなく、{自分が自閉症であること・自閉症の人には特有の行動があること・それは一般的には勘違いされる可能性があること・自分でしている行動の客観的な評価が人と違っていること…}などを、本人に言えるような良好な関係が成立していることが望ましい。 |
217 | 高学年 | 遠慮・謙遜・曖昧な自己呈示(特に、自己卑下的な表現)の割合が増加する。 | 遠慮・謙遜・曖昧な自己呈示を真似することはできたが、人は正直に何でも言うべきだと思っていた。 | |
218 | 高学年 | 自意識が強くなり、他者の目に映る自分を過剰に意識し、人との違いに敏感になる。優越感と劣等感の間を不安定に揺れる。 | 思春期以降、他者の目に映る自分を過剰に意識するようになったが、観念的だったし、具体的な他者ではなく人類一般としての「するべきこと」に縛られた。人前での振る舞いを気にしたのではなく、人として「すべきこと」を気にしたため、自分で自分を24時間の緊張状態に追い込んでいたが、そのことに気づいていなかった。えてして、身体的な不調となって現れていたことを、後から知った。人と自分を比べるなどというのは、卑劣なことだと思っていた。具体的な誰某とではなく、絶対他者と自分を比べて自分には価値がないと見下しながら、一方では、自分は他と違う選ばれた特殊な人間であるという選民意識を感じていた。 | |
219 | 中学生 | 親との同一化によって、自分のものとして無自覚に取り入れてきた価値観や自分の役割に疑問を持ち、それまでの自分が借り物であったという自己意識を持ち、拒否や反抗が生じる。と同時に、真の自己を自分自身で選んでいこうとする。 | 自分が自閉症であったことを知り、自閉症を知ることによって、非自閉症者に上辺だけ同一化してしまったことと、自分自身にとって本質的で排除しようになかったこととを分けることができた。しなくていいことをやめ、していてよかったことを認め、自己否定から脱却することから再出発した。(もっと早く知っていれば、しなくていいことをたくさんしすぎた後だったため、ショックが大きかった。しかし、これからでも、できることはたくさんあると思っている。) | 自閉症であっても、思春期の葛藤はある。この時期に、思春期特有のパニックが起きることがある。(投薬治療が必要になることもある。) |
「障害」と言うと、言葉の遅れや問題行動のあるかないかで判断されることが多い。しかし、外からはそれしか分からないというだけのことで、本質を捉えることにはなっていない。
同じ「アスペルガー症候群」でも、私と息子とでは全く臨床像が違う。私は、始語が一歳前で、歩き始めるより先にしゃべっていた。つまり、言葉の発達が早すぎたタイプだった。人に教わる前に文字を読み、本ばかり読んでいた。が、息子はかろうじてカナータイプではないものの、言葉の発達は正常でなく、読字障害も合併している。
私も息子も、人との係わり方は明らかに積極奇異型なのだが、現在の一般的な医療水準では、多くの医者が息子をADHDと診断し私は診断外になるだろう。でも、私は、明らかな学習や行動の障害を持っている息子の方が、私よりも遥かに賢いと思っている。何故ならば、息子の方は、発達のアンバランスを発達の遅れと行動異常という形で、ちゃんと主張できているからだ。私は、言葉の発達が早過ぎた。そのために、「言葉(音声言語・文字言語)」に対して受動的になってしまうという特徴が出現した年齢が、早過ぎた。それは、今更どうなるものでもない。けれど、私の犯した過ちを二度と繰り返させたくはない。
(2002.3.12)
「心の理論」をこういう観点から検証することの、重要性と警告。
自閉的な行動を、他者によって理解されたことがないばかりか、問題行動として一方的に抑えつけられた結果、逆に「恐怖」と「不安」を強くしてしまい、“強度行動障害”と呼ばれる状態になってしまうことの本当の恐ろしさは、以下の点にあると思います。
“感覚・認知・感情のあり方が一般的な人の持ち方と異なっている”ために、いかなる時期においても発達に見合った対応をされず、「他者に自分の気持ちを理解された」経験を持てないことによって、(言語能力のいかんにかかわらず)“実質的なコミュニケーションが成立しない”状態で人生の多くの時間を費やしてしまう結果になりかねないことは、それだけでも重大問題に成り得ます。
しかし、そのような基本障害を持っている上に、行動障害を強化され、更に、否定的な対人関係が固着してしまったまま思春期の「心の理論」獲得期に至ってしまった場合、“自分には他者によって見られている自分という側面を持っている”という自己の客体化が全くできない状態が残遺してしまうことが懸念されます。この症状は、一般的な概念で言う「関係念慮」に酷似しているため、 青年期以降に分裂病様な症状を呈することがあると研究者によって報告されて来たのではないでしょうか?(自閉症の専門でない精神科医であれば、分裂病と誤診してしまうところです。)
自己の主観的世界と客観的事実とのズレは、どんな人にもあるものです。が、自分からの視点だけでなく、他者の視点から見られている自分とを照合して、自己の全体像をとらえようとする意識が自然には育たない自閉症児は、自己の主観と客観との間にズレがあることすら知らない自閉症者になる可能性があることを、常に懸念していなければならないと思います。それが長く続くと、自己の主観的な見解に対して、巨視的な視野に立って客観的視点で意見されることそのものを、自己の存在を否定する攻撃と解釈するようになってしまうからです。
療育の効果で「受動型」に転じることが適応を良くすると言われていますが、その意味するところは、「ただ単に“受動的”になることではない!」と、私は主張します。「心の理論」獲得によって、「自分自身の内的世界と一人一人の他者が持っている内的世界が、それぞれに独立していること」を了解すると同時に、「自己の全体像の中に、他者の視点から見られている自分の両方を含めるられること」ができなければ、いけないと思います。そうしないと、常に、絶対自己と絶対他己との二者択一を迫るような世界観しか持てなくなってしまうからです。
自閉症児者が「適応する」ためには、まずは、自閉症であるが故に人と違っていることを悪いことだと思わずに自己の価値を評価できることが大前提です。そして、主客のズレが自分で自覚できていて、「他者からの評価」を「無条件に従うべき絶対命令」や「自分を否定する攻撃」と受け取ってしまうことなく、「他者の意見」として聞く、或いは、聞き流すことができるかどうか、自己の世界観を自分一人の特異な構築物として楽しめるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
(2002.3.17)