大湯環状列石:@どこからやってきたのか? |
△なぜ「海抜200m」なのか 注:本稿における海抜(標高)の数値、及び
地図上の位置や距離は推定である。 (1) 大湯環状列石(秋田県鹿角市)は、海抜180mの所にある。 (2) 鹿角(鹿角盆地のこと、また鹿角の郷のこと)に人々が 住み着くようになったことに関する図書に、 『鹿角市史』がある。同書第五巻「年表」の筆頭の、 原始時代BC5000年、縄文時代早期の項に、 ○大地平(おおじたい)遺跡 ○上葛岡遺跡 ……… のことが記されている。 これらの遺跡は、東北自動車道建設工事に際しての事前調査で確認されたものである。 大地平遺跡の海抜は200m、上葛岡遺跡の海抜も200mである。これらの場所は、 奥羽山脈西側の山麓、即ち米代川の右岸に位置する。 (3) 鹿角の太古は、湖であったとの伝承もある。米代川が、男神(大字十和田瀬田石) ・女神(大字十和田末広)辺りで堰止められて、鹿角一円が湖であったと云うのである。 男神女神辺りの平地の海抜は100m、男神(山)の海抜は238m、女神(山)の海抜は235mで、 男神・女神間の直線距離は900mである。ここが堰止められて、鹿角が湖であったとの推理は、 十分にうなずけるものがある。 水面は、大地平遺跡辺りまで続いていたことになる。 ここで本稿では仮に、大地平遺跡に住んでいたとされる人々のことを「大地平人」と 呼ぶこととする。 では、大地平人はどこからやって来たのであろうか。 @暖かい所の人口密度が高くなったので、一部の人々が新天地を求めて、わざわざ 辺鄙なこの地にやって来た。 A海岸辺りの平地に住むよりも、川魚や鳥獣を求めてこの地へやって来た。 B大地平人は元々山岳に住む人々であったから、鹿角の湖の源である大地平に 以前から住んでいた。 C鹿角には、よそにはない「宝物」があるから……… D……… ここで更に考えてみると、 @鹿角は湖であったので、その沿岸に居を定めた………。 A鹿角は、低地(海抜100〜180m)は湖水で、海抜200m辺りまでは一面の湿地帯 又は草原であったため、居を200m位の所に定めた。つまり海抜200m辺りが、 丁度奥羽山脈の山麓(山裾)であったから………。 [参照] 「男神と女神」 (H18.02.06)
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