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大湯環状列石:なぜ、ここでなければならなかったのか? |
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△そこは、乾燥地であった……… 大湯環状列石(現行の遺跡指定範囲)の区域は、乾燥地であったが故に、 (祭祀記念碑とか、墓地とかして)造られたのではないだろうか……… 舌状台地の堆積物の主なものは、火山灰である。火山灰は、保水力がない。 普通の土壌では、その上に植物が繁茂したりして、やがて黒土へと変わってゆくが、 火山灰は元々水が浸透しやすい性質を持っている。雨水などは、火山灰を速やかに 浸透するので、いつも乾燥気味になっており、植物の生育が阻害される傾向にある。 舌状台地を大まかに、次のように区分することとする。 @青垣山の山麓区域 A縁辺部がガケっぷちのように、がけ崩れのおそれのあるような区域 B縁辺部が基岩になっている区域 @では、山からの水分補給が潤沢に行われるので、居住地としても、植物にとっても 快適な環境である。 Bの例として、八幡平字松館の後ロ田のように、水の流れが滞るので、いわゆる 「ヒドロ」になってゆく。 大湯環状列石のある区域はAの例に該当する。この一帯は、縁辺部からの漏水があるため、 土壌は乾燥気味であり、人々の居住地としても、農耕地としても適していない区域 である。 乾燥していると云うことは、 @土が段々締まってゆき、地盤が安定している A雨水や流水などによる土砂の移動や流失がない Bしたがって、「物」を貯蔵したり、保管するのに都合がよい……長持ちする などの利点があろう。 それがために、配石の適地として、ここを選んだものと考え得る。 (H18.02.18)
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