◆7.化城喩品
前の授記品で「我および汝等が宿世の因縁吾当に説くべし、汝達善く聴け。」の文で終わり、これを受けてこの章が始まります。宿世の因縁とは現在の私達が過去にどういうつながりをもっていたかということです。ここではお釈迦さまのことについて説かれています。ずーっと昔のことです、ある国に王さまと十六人の王子がいました。やがて王さまは出家をし、精進修行の後に悟りを開かれ大通智勝如来という仏さまになりました。その様子をみていた王子たちも父である大通智勝如来のお弟子として法華経の修行をはじめ、仏さまになりました。その中の九番目の王子は西の国の阿弥陀仏となり、十六番目の王子は東北の娑婆世界の釈迦牟尼仏となり、それぞれ法華経を説かれているというのです。ですから阿弥陀仏はお釈迦さまのお兄さんというわけです。ここで大切なことは、私たちの住んでいる娑婆世界ではお釈迦さまが法華経を説かれ、救い導いてくださるということです。私たち娑婆世界の住民は、なにも遠くの世界へ行って法華経を修行する必要はないのです。日蓮聖人が「お釈迦さまは主・師・親の三つの徳を持ち、私たちと密接な関係をもっておられる方であり、信仰の基本としなければいけない。」と強調されたのは、こうした意味があるからです。そのお釈迦さまが私たちに教え導かれるための方法の一つとして、次のような喩え話をされました。昔、宝の国をめざす一行がありました。どこまでいっても宝の国に到着しません。人々は疲れはて、歩こうとしません。一行のリーダーは、これから先もどんなに大変な道のりかを知っていました。今それを言ってしまえば誰一人として動くはずがありません。そこで智恵をはたらかし、神通力で目の前に立派なお城を映し出し、「さあ、あれが私たちの目指していた宝の国だ、がんばって歩こうではないか。」とみんなを励ましました。人々はあと少しということで、歩きはじめ仮のお城で休憩をとり、元気を取り戻しました。そこでリーダーはそのお城を消してしまい、「みんなの求める本当のお城はもっと先にある、頑張って行こうではないか。」と一行をうながしました。そして何度もくりかえして、とうとう本当の宝の国へ無事到着した、というお話です。
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