GLN 宗教を読む

聖書の起源

◆使徒たちの治療活動
 イエスが、福音書にしるされているような不思議な仕方で、 はたして、病気なおしをされたかどうか。 それはともかくイエスの弟子たち、あるいは最初の教会が、 病気なおしをおこなった事実は疑問の余地がない。 福音書によると、彼らはそれをイエスの名においておこなった。
 
 不思議なことに、イエスの弟子たちも、そして民衆も、 イエスによる癒しとイエスの名による癒しとの間に、 区別をたてる必要を少しも感じてはいなかった。 ここに問題の手懸りがある。 というのは、イエスがガリラヤの村々を遊行し、 病人に癒しの手をさしのべられたという福音書の記述は、 イエスの弟子たち、あるいは初代教会が、村々を経巡り、 イエスの名によって病気をなおしたという事実とひとつに重なっている。 少なくとも、その公算がすこぶる高いということになるからである。
 
 このことは、福音書記者のマタイもマルコも、 使徒派遣について語るとき、 なぜに治癒権の委任についても語らねばならなかったか、 そうした古伝承に含まれる記憶とけっして無関係ではないだろう。 福音書によると、使徒たちは、イエスの命ずるままに、宣教の使命をおびて、 知らない町へ旅立っていった。
 マルコ(福音書)によると、杖一本のほかには、食べ物も、銭も持つことを許されず、 ただ病気を癒す権威、悪霊を制する権威を与えられて出て行った。 使徒権治癒権とは、切り離しがたく結合されていたのである。 使徒たちは、(イエスの名において)それを行使した。 (ルカ一〇・一七、マルコ一六・一七、他に使徒三・六)。
 使徒ペテロはいう。 「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。 ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」(使徒三・六)。 すると、足のきかない男は、踊りあがって歩きだすのであった。
 こうした事実にもとづいて、福音書記者は、 イエスによる驚異の治癒を、生き生きと書きつづることができたのではないか。 要するに使徒権と治癒権とが、切り離しがたいものとして結合されていた状況が、 ここでは問題なのである。極言すると、イエスはこうした状況のなかで、 まさに治癒神となった。
 ナザレのイエスは、このような中から他の治癒神と競合する、 新しく若い治癒神として登場した。 初期キリスト教の、その後の歴史は、このような競合の過程をとおして、 いかに深く、イエス自身に治癒神の刻印が、きざみこまれていったかを示している。
 
 先にわれわれは、「カナンの神々の系譜」のなかで、 古代オリエント宗教史にあらわれる、治癒神の系譜をたどることを試みた。 それは、オリエント世界に活躍した驚異の治癒神が、 実はアルカイック(古風)な死と再生の花婿神であったこと、 太古の埋もれた神話と伝承に登場する美しい豊饒の女神、勝利の舞の女神の、 実は配偶男神であったことを示していた。はたしてイエスはどうか。 われわれは、イエスに着せられた驚異の治癒神の衣裳について、 古代末期の、特異な宗教的、社会的状況からそれを明らかにしていこう。
 
 注:使徒ペテロとは
 イエスの弟子。ガリラヤの漁師であったが、イエスに選ばれ最初の弟子となる。イエスの死後、エルサレム教会の基礎を固め福音の宣教に尽力。ローマでネロの迫害により殉教したという。十二弟子の筆頭とされ、カトリック教会では初代教皇とされる。ペトロ。ペトルス(goo 辞書)。

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