<ふるさと八幡平>ふるさとの山「三の台」 松館老人クラブ 桜田守宏 一、三の台 三の台(三ノ岳)は、標高六一八米のありふれた普通の山であるが、山 頂から左右に延びる稜線はなだらかに広がり、独立峰の観がある。三の台 の地下からは、かつて金や銅などの鉱物資源が豊富に産出され、左(南) の方は黒沢・新田・真金山などの旧鉱山へ、右(北)の方は史跡尾去沢鉱 山へと続いている。 東京など首都圏に住んでいる鹿角出身の人たちが故郷へ帰省するとき、 やがて湯瀬渓谷を通り過ぎ、小豆沢碇辺りまで来て一番初めに目に入るの が、三の台である。親元を離れて遊学中の若者、やむを得ず出稼ぎをして いた大人たち、また慶弔などのために訪れる親類知人などなど、三の台を 見て、ほっとする、なんとも言えない安堵感を抱き、父母や親戚、友人知 人の面影を実感するのである。何の変哲の無いようなところに、ふるさと の山としての意義があるものと思う。故郷は、いつものように変わらず、 訪れる私どもを迎えてくれているんだ……と。 鹿角の中では、三の台ほど、殆どの場所から眺められる、最も親しみや すい山はない。湯瀬渓谷口からはもちろん、八幡平山麓(根瀬辺り)から も、大湯からも、また小坂の方からも良く見える。鹿角の青垣山のうちで、 一番多くの人々から眺められている山 である。したがって、誰もそれほど意識をしないし、自然な形で、まるで 父や母、祖父や祖母のように私どもを見守ってくれている。 二、曙小学校校歌 次の歌は、元曙小学校の校歌である。 一、名もうるはしき 曙を 流るゝ川は 夜明島 田畑続ける 野末には 聳えて高き 三の台 二、此の地に育つ はらからよ 心ひとつに なりはひを 奮ひ興せよ 国のため 勤め励めや 家のため いざ励め 勤めや 友よ この校歌の作詞者は斉藤雅雄氏、作曲者は黒沢隆朝氏とされている。も ちろん私は両氏のことはよく存じ上げませんが、この校歌は、いつも口ず さんでいる懐かしい歌である。 この校歌に出てくるのが、三の台である。まさに「田畑続ける野末には 聳えて高き三の台」である。 ところで、作曲者の黒沢隆朝氏にとっては、人生に大きな転機を与えて くれたのが、曙小学校であったと思う。氏は、わが国の音楽教育界に偉大 な業績を遺してくれた人物である。 即ち、黒沢隆朝(くろさわたかとも)氏は花輪の出身、父は市太郎、代 々神職の家であった。秋田師範を卒業後上京、大正十年(一九二一)東京 音楽学校を卒業した。ヴァイオリンを学び、山田耕筰、田辺尚雄に師事し た。大正の終わりごろから盛んに童謡作曲を手がけた。また教科書作りに 貢献した。昭和十四年(一九三九)にはアジア音楽調査をするなど、その 調査報告は後に黒沢学説と呼ばれ、国際的にも大きな反響をよんだとされ ている。 なお、「お星様」は大正五年(一九一六)頃曙小学校に奉職した折の作 詞・作曲である。また「曙小学校校歌」も作曲した(鹿角市史など)。 この曙小学校校歌は、鹿角での校歌としては魁であったとされている。 私は、この校歌を含めて、三の台を誇りとし、ふるさとのかけがえのない 宝と思っている昨今である。 |