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5 夜明島渓谷の旧鉱

(1) 槇山金山 参考:鹿角市発行「鹿角市史」
 
 槇山(真金山・巻山とも)は、夜明島川の支流槇山川(真金山沢と も)を遡った上流の谷合を占める。金山の西側の尾根が比内(大館 市)との境界で、その巻山峠を越えると大葛(おおくぞ)の金山集落へ出る。古 代からの鹿角・比内を結ぶ連絡路でもあった。
 
 槇山金山 は、白根金山の翌年、慶長四年(1599)に見立てられ、 やがて北十左衛門によって白根、西道、槇山三金山が支配されたと 云われる。『開立年限附』には、山師小田嶋勘助が稼行し、小屋一、 〇〇〇軒、元禄十三年より七カ年毛馬内山師能登屋清左衛門が金銅 山として働き後、銅山になったと記され、『鹿角郡諸鉱山記』に、慶 長七年秋田領十二所村嘉左衛門が見立て、そのハク(金偏+白)を 白根の庄左衛門の許へ持参し、鑑定の結果、金山に決定したとして いる。
 寛文六年(1666)四月二十九日間歩小屋二十四軒焼失、同年十一 月六日山火事のため山仕小屋三十二軒が類焼したと云う記録がみえ るところから、かなりの鉱山集落を形成していた。
 また延宝九年(1681)にも、槇山山仕小屋二十八軒焼失との記録(『雑 書』)もある。
 
 真金山鉱山は、その後銅を産出し、ときどき休山しつつも、昭和40年頃まで 続いたとされる。
真金山鉱山跡
真金山鉱山跡

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