GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

 私は毎年元旦、初日の出をみるために五十枚に登りますが (今年は体力の限界?ということもあって、鉱山事務所前までとしましたが)、 五十枚に登ると下で見るよりも、更に大きくその景観が展開し、よく晴れた日には遠く八甲田の山々や 岩手山もみることができる。 また秋の晴れた日には西の空に濃紺にかすんでゆく山々の峯の中に真赤な太陽が沈んでゆく。 私達は海に沈む夕陽は中々みることはありませんが、この山に沈む夕日にも、 荘厳な感動をおぼえます(この夕日は、水晶山の方からも見ることができますが、 今は木が大きくなって見はらしが悪なっているが、まだまだ大丈夫だと思います。 同じことが五十枚の方にもいえますが)。
 
 また私達は、尾去沢にいてもススキの穂はよく見かけますが「穂に穂がゆれてまたゆれて……」 というススキ原はほとんど見ることはないと思いますが、 この水晶山のテレビ塔に行く道の少し手前に左に分れる小道がありますが、 こゝは少しの間だけれどもススキをかきわけて行くという実感を味わうことができます。 それからしばらく行くと、大森山の裏側に当るあたりに広い湿原のようなところがあり、 テレビ塔をのぞみながら風にゆれるススキ原の情緒を楽しむことができます。
 
 元旦に五十枚に登るとき、鉱山事務所の上の林を抜けて、 花輪の方がよく見える峯に出ると、鹿角の夜景が広がります。 それは夜景の名所といわれるような絢爛豪華、目をうばうような美しさも、 大都会の光りの海のような華やかさもないが、むしろその反対に澄み切った空気の中に、 空にまたゝく星と共に黒々と静まる青垣山にかこまれて、里の灯りが心を洗い清め、 心の中に新しい灯をともすようにやさしく輝きます。 鹿角の夜景は、心の汚濁を洗い清め、新しい希望の灯をともす祈りの夜景だ、 と元旦の朝はいつもそんなことを思います。
 たゞ元旦の夜景(むしろ夜明けとなるわけですが)は、初日の出と同じで、 天候に左右されるのが残念ですが、 都合のよいときに五十枚や水晶山に登ってみるのもいゝと思います。 天と地を結ぶ漆黒の闇の中に身を置くと、厳粛な夜の霊気がひたひたと身に迫るものを感じます。
 
 私は、閉山前といっても昭和四十年代だったと思うが、山かげの方を知らない友達を連れて、 坑内をぬけて下タ沢から中新田、上新田から一本栗の木(大葛との境)まで行ったことがあった。 そのとき私は、俺はこゝから峯づたいにヤブや木を切払って水晶山に抜ける尾去沢を一周する ハイキングコースを作りたい、そんなことを話したことがあったが、今は水晶山からの峰越林道が 一本栗の木まできている。 この上新田からの道を整備すれば、尾去沢を一周する車でもまわれる道路ができる。 そしたらマラソン大会をやるか、駅伝をやもかは別として。 もう一つは(この話しは大分前に書いたことがあるが)水晶山から五十枚への峯づたいの道を作りたい。 五十枚の後ろの小高い丘(愛宕山)にはやさしい観音さんを建てたい。 そしてこの道を不慮の事故などで亡くなった人達の霊をなぐさめ、 悲しい心をいやす鎮魂の峯、観音さんにお参りする巡礼みちとしたい。
 
 私がこんな話しを長々と書いてきたのは、今は車の時代だ、飛行機もある、 どんな所でもすぐ行ける。それだけに子供達にふる里の野山を自分の足で、 汗を流して歩かせたい、歩いてほしいと思う。 小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりに。 今学校では春、秋の遠足などはどうなっているだろうか。 遠足などという古い言葉はもうないかもしれないが、私も年と共に子供達と話し合う機会が少なくなってきた。 今の子供達はどんなことを思い、どんなことを考えているだろうか、 ふる里尾去沢をどう思っているのだろうか。 こんなことをやりたい、やってほしいという希望があるのだろうか。 学校という枠をはなれてゆっくり話し合ってみたいものだ。 ともあれ、子供達にふる里の思い出をいっぱい持たせたい。 それが生きる力になるんだ。そんなことを思っている。

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