GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(3)

 この「山の枯木のつぶやき(3)」は、平成21年9月5日付けのチラシです。
 
山の枯木のつぶやき(3)
○コケコッコの花の話し(続き)
 山神さんの境内(神社に向って右側)に大きい松の木がある。 まわりを土盛しているのでこの神社をつくったとき(こゝに遷したとき、昭和十三年)に ご神木として植えたのかもしれない。 この木が昭和三十年頃側にあった倉庫(今もコンクリートの床が残っています)の火災のとき 倉庫に面していた方が焼けこげてしまった。 その焼け跡が次第に白く肌がむき出しになり、いつの間にか蟻の住家になって次第にくさってきた (四米らい)。 いつ倒れるかもわからないので気にかゝっていた。 私達総代としても、また気がついた人とも何んとかしなければと話合ってはいた。
 
 七月の中頃岡本さん(前の郵便局長)が花輪の方で樹木医をしている熊谷先生 (元小・中の校長先生、害虫やスズメバチの駆除もやってくれるとか。高校の同級生)と 何かの会で一所になって、この松の木の話しをして、木の状況も見てもらったというので、 岡本さんに案内してもらって先生の所にお伺いして色々お話を聞いて見積もりをいたゞいてきた。 その後氏子総代さんと、とにか今年の事業計画もないし、予算もギリギリで余裕はないが、 この機会を逃したらいつのことになるかわからない、その中に倒れても困るので 経費(約十万円)は年度末に全体の状況をみて何んとか考えよう、 ということでやってもらおうということにした。
 
 私も午前午後と都合のいゝ時作業を見に行った。 二日目の午後行ったとき、昨日は根元の所に足場を組んでいたが、 今日は盛土の端っこの方から斜めに二連の梯子をかけていた。 これでは梯子に腹ばいになっても中程の腐った所には手が届かない。 これはやっぱり大工さんの方が仕事に使う組立式の足場を組んでもらえばと思って、 来る時藤井さんいたようだったので行ってみた。 こういうことだと話したら早速来て見て、城山の作業場から資材を持ってきて組立てくれた。 冗談半分、本気半分で山神さんはゼンコネエからお礼は酒一升だゾ、といった(まだ持っていっていない)。 藤井さんは、自分がこうと納得したら後はだまってやってれる。 私はいつもそうしてお世話になっている。 二、三年前であったか、瓜畑の土手(昔のブラザーの石垣の所から)の草を刈って、 十五〜六個所山盛にしておいたら無くなっていた。 年寄り二人でエッチラ、オッチラやっていたのを、仕事の行き帰りに見ていたのだろう。 やったナー、いったら笑っていた。 初めは両手でかゝえてトラックに積んでいたようだが、能率が上らないので花輪に行って 農家の人達が使うフォーク?を買ってきたと。 今年もオレは牛飼っているから草を集めているんだ、などと冗談いゝながら片づけてくれた。 藤井さんは、私一人でナリナリに動くのはいゝが皆と一所に何にかやるとなれば、 私の心臓がついていかないことを知っている。 外の人も知っているので、皆で動くときはオレは山の枯木だ、と立ってみていることにしている。
 山神社境内の草刈りは水戸さんが伸びてくると頃合いを見て、年に何度も刈ってくれている。 今、山神社も史跡尾去沢鉱山の産業遺産コースに入っているので、外から来るお客さんに草茫々ではなく、 いつもきれいな山神さんを見ていたゞけるので大変たすかっている。 私達は五月の祭典前と八月のお盆前に地域の人達にも手伝って下さいと呼びかけて (ビラをはって)草刈をしているが、氏子さんでもない蟹沢の藤原昌吉さんと高田徳治さんがトラックに 草刈機や一輪車など積んで毎回手伝いに来てくれる。 勝手な口をきゝながらワイワイと一緒に草刈りをしているが、心の中では本当に申し訳ない、 有難うございますとお礼をいっている。
 地域の皆さんには昔やけどした松の木の外科手術も無事に終りましたとご報告する機会も中々ありませんが、 十月下旬の恒例の秋の祈願祭のときに氏子代表の方々にも集まっていたゞきますので、 そのときにくわしくご報告したいと思っております。

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