先にもいいましたが今の世の中、変転がはげしく、将来私達の孫やその子供達は
どこでくらすようになっているかはわかりませんが、いつの日か、きっと父祖を思
い出す日がくると思います。こうしたことを書き続けたのも、自分達の思い出をた
どると共に、その日のために少しでも役に立つことがあればと思いました。 ともあれ私も、秋田のトーサン(相馬与一郎)は別として、繁子や芳一さんと共 に、下タ沢出身では一番の年長者となってしまいました。とりとめのない年よりの 昔話しと思って読んでみて下さい。といっても、これは小説などのように順を追って 読んでいかないと話しがわからない、といったものでもないので、気の向いたとき、 気の向いたところを自分の思い出と重ねあわせながら、拾い読みして下さい。そし て、これはこうだったと気のついたところは、是非教えて下さい。 何日もかかっているので、文章もおかしくなりました。「である」になってみた り、「でございます」になってみたり、送りがなや字なども新旧ごちゃまぜに、自 己流も加わって、また漢字になったり仮名になったり、中味も自分独自に調べたも のなどほとんどなく、結構誰かが書いたものをそのまま使わしてもらうということ にもなってしまいました。 著作権というものもあるようですが、どうなれば著作権の侵害になるのかもわか らず、自分で勝手に、世に問う著作や研究発表でもなく、またそのために利益を得 たり、名を売ったりするするものでもなく、お互いの思い出話しのメモ書きのよう なものだからいいだろうと、無断で使って、と怒られたらゴメンナサイとあやまる よりないと思いながら……。 最初の下書きを書いたときは、この半分くらいでしたか、清書?しながら、どう だった、こうだったと脇道にそれたり、横道に入ったり、関係ないことになってみ たりしているうちに、ページ数だけはふえていきました。こんなことを書いてもし ようがない、やめようかと何度も思いながら……。 本当は写真やイラストなどを入れたりすると、もっと読みやすくなると思いまし たが、そうするとまた書き直さなければならなくなるし、また文章の構成も不統一 なので、それも直さなければならなくなるし、まあいいや、これは覚書、原稿みた いなものだから、とそのままにしました。 また機会があったら、これを種にして思い出を語り合ってみたいと思っておりま す。 平成14年10月 下タ沢会 相馬茂夫記
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