下タ沢会によせて(覚書)

附3 尾去沢小学校校歌の周辺・余話

 尾去沢小学校校歌の周辺・余話(2)(続き)
 
 校歌ができて六十五年、私たちの同級生でも、書いたものを見ないで、三番まで チャンと歌えるには何人いるだろうか。激動の昭和の時代をゆるぎなく、さわやか に歌いつがれてきた校歌を、自分達の生きてきた時代への反省もこめて、今の世に はびこるゆがめられた権力、暴力、私利、私慾の亡者、世の師表とならなければ ならない人達のもたらす害悪の、子供達の心に与える影響の大きさに唇をかみなが ら、いつの時代でもこの世の土台となり、この世を支えてきたのは、名もない地位 もない、いわゆる一般市民、弱者といわれる私達であったことを思い、こゝで私達 はくじけてはならない、この世の悪に圧倒されて、あきらめてはならない、くじけ てはならないと、自ら心にいゝきかせながら、この混濁の世を生きて行く子供達の 純な心に、三ツ児の魂百まで、という言葉を重ねて、この校歌が子供達の人生を支 え、清冽な泉となって流れ続けて行くことを願いながら、忘れんぼの私自信にいゝ きかせるためにも、この校歌を書留めて終りとします。
 
一、山なぞへ 空は青し
尾去澤 よき學舎
幼し我等 このまごころ
飛べよ翼 ともに巣立たむ
尾去澤尾去澤 我が鉱山
 
二、山なぞへ 水は清し
米代よ 我が揺り床
勇まし我等 このとゞろき
ひゞけ巖 常に励まむ
尾去澤尾去澤 我が鉱山
  三、山なぞへ 光ふかし
十和田湖よ 八幡平
さやけし我等 この朝夕
匂へ黄金 ともに磨かむ
尾去澤尾去澤 我が鉱山
 
 追記
@この校歌は昭和十二年三月、私達が高等科を卒業したときの記念写真にはられて いたものによって書きました。戦後はかなづかいや字も変っているので、何にか 昔がなつかしい思いがして……。
A私は、はじめに標題の隣に「尾中ブラバン事始」と書きましたが、これはそれ程 大げさなことではなく、昔、青年学校に「ラッパ鼓隊」というのがありましたとい う思い出なので、別の機会に書きたいと思っております。
 
 参照: 「尾去沢小学校校歌」
(お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」 ボタンをクリックして下さい。)

  平成十二年三月十二日  以上

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]