下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 記念品(1)銅版画 − 千年の歴史の鉱山に春惜しむ −
 
 それは四月の終り頃であったか、五月の初め頃であったか一寸思い出せないが、 二階の社長室から一寸上ってこないか、と電話がきた。何んだろうと思って行ったら、 西洋紙にヅラッと俳句を書いたのを見ていた。 どれがいゝかという話しだ。それは四月二十三日鹿角、大館方面の俳句をやる人達 が、閉山していく尾去沢鉱山に別れを惜しんで、「尾去沢鉱山吟行俳句大会」を開 催したときの句を書いたものだった。
 会社と労組の話し合いの中で決ったことだろう。全従業員に閉山記念に尾去沢鉱 山の全景を描いた銅版画を贈ることになって、その中に一句入れたいということで あった。
 
 この銅版画をつくることになって、鉱山の全景を写した写真がないか、といわれ た。それは昔の写真ではなくて、閉山する今のまゝの姿を映したのがいゝと思った が、時間的にも撮り直す余裕もなかったので、あれよりないナーと思って、前年の 九月下旬に写した写真を見てもらって、それを使うことになった。その写真は、本 社の採鉱部で年に二〜三回出している採鉱部報というのに、尾去沢の写真をのせた いので送るようにといわれて、獅子沢ダムの向う岸というか、選鉱場の向いの山の 中腹から写したものであった。今になるとどのあたりかわからなくなったし、木 も大きくなり、選鉱場もなくなったので、写すことはできないが。
 
 どの句にするかは、みんな忙しいこともあったろうし、社長に一任となったかも しれない、ということで、あれこれと話し合って二つを選び出した。私はも ちろんですが、社長も俳句をやったことはないかもしれない、素人二人でこれがい ゝといっても、俳句には季語とかいうのがあるというから、後で尾去沢の人間は 季語も知らないのか、と鉱山の歴史に恥をかゝせるようでも困るから、と一応俳句 をやっている人に見てもらうことにし、瓜畑にいた吉尾哲郎さんに見てもらい、そ の話しもきいて、この「千年の歴史の鉱山に春惜しむ」という句に決め、早速毛馬 内におられる作者の竹沢キヌさんのお宅をお伺いして使わしてもらうことの承諾を いたゞいて、字は畠山定雄さんにお願いした。
 この図柄は、後で購買会で手拭やノレンなどにつくって販売されたことはご存知 のとおりです。

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