下タ沢会によせて(覚書)

友人楓江のこと

 松浦武四郎が田郡に来たとき、その情景を評して、友人楓江の四時日短して夜偏 長しと言いしも思い合せたり、といっているが、この友人がわからない。鹿角の文 人墨客かとも思って鹿角市史をみたが、それらしき名前もない。辞典をさがすにも 名前だけではさがしようがない。ある日ふと思った。尾去沢鉱山クラブの図書室に 南部叢書というのがあった。閉山になる頃、まともに読めもしないが、その本をほ しいと思った。そのうちにどこにやったか見えなくなった。5〜6年前に公民館の図 書室にあるのを見つけた。それを思い出して公民館に行って、1巻1巻、項目別の解 説を見ていたらあった。第八編(巻)、鯢山(文政5年〜明治29年75才、江戸に出 て色々な人と交り、小野湖山、大沼枕山と共に梁川星巌門下の三山といわれたとい う、姓は山崎)、詩稿のところに、嶺田楓江という名前が出てきた。松浦武四郎の 友人かどうかはわからないが、歴史人物事典をみたら、「嶺田楓江(文化14年 (1817)〜明治16年(1883)民間教育家、その経歴はどっちでもいいが、松浦武四 郎は文化1年(1818)〜明治21年(1888)というから、生きていた年代が重なるから 交友関係があったものと思われる(叢書(そうしょ):広辞苑によれば、種々の書 物を集めて大きくまとめたもの。南部叢書は全11巻、11巻目は索引、昭和4〜5年頃 刊行。公民館にあるのは、第2、4、6、7、8、9、10の7冊である)。

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