こうして三ツ矢沢小学校は廃止になったわけですが、これと同時に三ツ矢沢の小
中学生は全員寮生活をすることとなり、新校舎建設と併行して進められていた城山
の寄宿舎(三ツ矢沢寮)は、8月20日竣工、入寮している。初めて親元をはなれて暮
らす子供達は、どんな思いをしたろうか。特に一番小さい1年生は……親も子もつら
い思いの発足であったろうと思う。 寮長は小学校の校長先生で、賄いのオバさん(寮母)は畠山スエさん(学校の用 務員をしていた。中新田の工藤勝雄さんの妹)であった。 このとき入寮した小学生は1年女2人、2年女1人、3年男1人、女2人、4年女1人、5 年女2人、6年男1人、女2人、計男2人、女10人。中学生1年男1人、女3人、2年女3人、 3年男1人、女4人、計男2人、女10人。合計男4人、女20人、計24人。こうした態勢で 出発した三ツ矢沢寮もその後次第に小中学生が減少し、昭和61年3月31日を以って廃 止され、以後鹿角市教育委員会さしまわしのタクシーによって通学している(現在 小中学校各1台、年間経費約300万円(平成12年度)という。)。 |