GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

鹿角の昔ばなし@:はじめにA

 もういゝや、益々こんがらかるだけだと思った。 がそれなりの結論を、と思ったが出せるわけがない。 それでBの秋田の民話が出た直後、さきがけ新聞に2回にわたって「民話の再話と発想」として、 「原話提供者の一人として」と大曲農高教諭の榊田凌次郎という人の書いたものから、 前後を省略して、民話とは何か、書いた部分をコピーして、次につけたいと思う。 何分にも新聞記事を切り抜いて、はり合わせたので読みにくいが(本にはさんでいた)。
 
 秋田魁新報 昭和33年8月11〜12日
 さて、ここで私的な話を汀切って、本質論にはいることにするがまず最初に「民話」とはなにか − の問題である。
 これについて諸説はあるようであるが、私は単に庶民の間に昔から伝えれた昔話なり伝説なりを指すだけでなく、彼等の生活の中から自然に生まれ出て、喜んで多くの人々によって語り伝えられて、現に彼等の魂を生々と躍動せしめる文芸的な本質を有するいっさいのものを民話と見たい。
 しかして、これを語るものは、聞くものとともに限りない感動を覚え、そのために、その中には無限の叙情詩的な律動と、協同体的な躍動が存在するものでなけれはならない。
 しかしながら現在語られている昔話なり、伝説の中にはもはやそうしたものが失われている場合が多く、ことに伝説においては、口誦的な廃墟と化してしまっているのである。
 そうしたものの中から、叙事詩的な本質をひき出し、意味づけ、拡大して、ともすれば長い伝承の中に忘れ去ろうとしている、父祖たちの訴えようとする本質的な問題を、現実のわれわれの生きる「場」の中に意味づけるのが「再話」であり「再創造」なのである。ただ「再話」と「再創造」とは、おのずから相違があり、木下順二氏の言葉を借りて申せば「再創造」は 原話の発想に自由な解決と空想を加えたものであり「再話」はなるべく、原話の語り口や語りを生かしつつ、本来のテーマを発展的に明確に描いたものとも考えることができる。
 
 かかる観点からみて、もっとも適切な「原話」を採択し、「再話」の作業にかかるわけであるが、私が瀬川氏に送った五十編の伝説は、とちらかといえば、興味本位的な、新奇なものを選び、多分に秋田にも、こんなおもしろい物語があるんだぞという郷土意識は多分に働いていた。しかるに氏は、かかる興味本位なものよりもその中に、さりげなくのせた、きわめて、つつましやかな素朴な小編のみに着眼して選択されたのに、ハッと胸をつかれるものがあった。
 
「いわば、一見きわめて平凡な伝承の断片の中から、そこに人生への祈りがこめられ、庶民の悲願の秘められたものを採用したのである。この点、私は大いに敬服し、また元気づけられたのであるが、ただ一つの憂慮は、秋田の地理や郷土史に暗くさらに秋田方言にはなおさら暗い氏ご夫妻が、果して(他県人ならいざ知らず)わが秋田県人がなるほどと納得ゆくだげの風土性のゆたかな新しい民話を書き得るか、どうか。前著「信濃の民話」で、学界からも限りない称賛をかち得た氏の力量は、一つは氏は信濃人だからであり、今度の「秋田の民話」は果たして、前著のような限りない感動を、われわれに与えてくれるかどうか − という問題だった」。
 
 この点、やや失望したという批判の声を聞く。また私も協力者の一人として、その指摘に頭をたれざるを得ない個所もないではない。ただそれにもかかわらず、私が声を大にして叫びたいのは、たとえば私の提示した「松山の洞穴」の原話などは、わすか原稿用紙にして一枚にも足りない短い物語であるが、その叙述の中にこめられた内容を詳細に吟味し、農民たちの持つエゴイズムと、生きようともがく武士の熾烈なる本能とが織りなす鬼気せまる凄惨な物語にまで高めてくれたた力量に対しては、たとえ、その中に片々たる欠陥があったにしても、原話の提供者として、満腔の敬意を表したい。
 
「そして、郷土人が郷土の民話を見て、だれでも感ずる一番素朴な誤解 − あんな話などは、この他方ではだれも語るものがないはずとか、あの物語の中に書かれた、あのとおりの事実などはあるはずがない − という「原話」と「再話」の問題を無視した誤解だけは是非といてほしいものだと思う」。

 民話は、あくまでも文芸であり、しかも、地方の伝承の中から美しく羽ばたくロマンの花だからである。
 
 この最後の言葉、民話はあくまでも文芸であり、といわれても私にはよくわからない。でも伝承の中から美しく羽ばたくロマンの花である、といわれると、何にか楽しくなる。花はツボミがないと咲かない。私達が話しているむかしっこや伝説は、文芸の花を咲かせるツボミである。となればどんな花が咲くかは別として、私達は美しい花を咲かせるツボミを大事にして伝えていきたい。むかしっこや伝説を楽しく語りながら。

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