GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに

蒙古襲来I
 とにかく蒙古の襲来が終われば、世は1300年代に入ってゆく。 もう天神さんも松館に祀られているから、話しはそっちに移らなければならないが、 1300年代となると、南朝だ、建武の中興だとなって、 楠正成の赤坂城や千早城の奇襲作戦が気になってくる。 にしても、このどっちに転んでもいゝような、 皆さんにはあまり関係のない話しはここらで一休みにしたい思う。
 
 私はこの話しは、桜の咲く頃から書きはじめましたが、 あゝでもない、こうでもないと迷ったり、バカの考え休むに似たり、でボケッとしたりしているうちに、 雪が降り出してきた。 ヤレヤレと思って見たら、家のまわりの草もろくすっぽ刈っていない。 冬がくるのにわずかばかりあるサツキの木などの冬囲いもしていない。 このまゝ続けていたら年を越せない、ということで、正月があけたら、 また書きはじめようと思っている。
 
 その話しは、順序は別として、 ○山からモッコがくる話し。 ○私には小さい時から別の名前があったこと(下タ沢の人は今でもその名をいう)。 ○小さい時、一人遊びをしている私を父は神遊びといって、 神様と遊んでいるんだから、いいんだと言ったこと。 ○校友会のこと。 ○兵隊検査のこと。
 書いているうちにまた何にか思い出すかもしれない。 何にせ孫に話す昔話の覚え書きだから。 それでは皆さん良い年をむかて下さい。
 
 余白ができたので、前に書き落としたことを書いておきます (世界宗教用語事典から)。
 
○祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)=祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)。 梵語:ジェータヴァナーマナータピンダグスヤーアーラーマの漢訳。 祇園精舎ジェータヴァナーヴィハーラとも。 インド舎衛国(シャエコク)にあった僧院。給孤独長者(須達シュダツ長者) が祇陀太子(コーサラ国、波斯匿(はしのく)の王子)の園林を黄金を敷き詰めて買い、 僧院(精舎)を建てて釈迦説法の拠点とした所。 祇陀太子(ぎだたいし)は生えていた樹を寄付し、両人の名をつけて呼んだ。 略して祇園。日本では平安朝に廷臣藤原基経が京都に祇園精舎の守護神牛頭天王を祀り (後の八坂神社)、ここに祇園の地名が生まれた。
○須達長者=須達はスダツとも。釈迦に帰依し祇樹給孤独園(祇園精舎) を寄進した舎衛国の大長者。梵名スダッタで、善施と訳す。 慈悲深く、孤独者に食を給したので給孤独(アナータピンタダ)長者とも呼ばれた。
○牛頭(ごず)天王=伝説ではインドの祇園精舎の守護神とされ、 京都に祭られて祇園天神・武塔天神などと称され、祇園感神院となり、 明治に八坂神社と改称された。京都祇園の地名は、これよりおこる。
○八坂(やさか)神社。旧官幣大社、祭神は素戔嗚命・奇稲田姫命・八柱御子神。 創説は種々あり、平安期に公卿藤原基経が祇園精舎の守護神牛頭天王を祀ったとか。 下河原の僧円如が播磨(兵庫)の広峰牛頭天王神の神体を移祀したとか伝える。 祇園社とか、感神院の名で知られる。 明治神仏分離で、仏像など他寺に移管し神社だけになつた。祇園祭りが有名。 八坂はこの辺の旧地名。

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