GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

鹿角 八幡平 松館 菅原神社春季例大祭参拝の記:はじめに

阿部氏
 そういえばその頃、阿部の清明とかいうハッケおきの大家ではない陰陽道の大家、超能力者、 占いの神さまとかいわれた人がいたようだ。 道真公と同じ頃の人かと思ったが、道真公が亡くなって10年くらい後に生まれているようだ(921年)。 紫式部が頭痛鉢巻をしてウンウンうなっていたか、眉をひそめて思いなやんでいたかは知らないが、 源氏物語を書き続けていた1005年に死んだという。
 
 この頃武士が次第に力を持ってくる。我が東北地方もさわがしくなってくる。 源義家が前九年の役(1051〜62)だ、後三年の役だとやっている。 衣川の舘(柵)の戦に敗れて逃げてゆく阿部貞任(44?)に義家(24)が、 衣の舘はほころびにけり、と歌いかける。ふりかえった貞任は、年をへし糸のみだれの苦しさに、答える。 昔の武士というか、日本人は優雅だ、生命をかける戦の中にも相手を思いやる心のゆとりがある。 武士の情けといやつか(後三年の役は1086〜87)。 延暦寺の山法師(僧兵)達が日枝神社の神輿(みこし)をかついで朝廷に強訴(1095.10月)したりして、 当時の白河天皇が私の思い通りにならないのは賀茂川の水と双六の賽と、この山法師達だと (天下の三不如意)となげいたという。 そうだよナー、自分勝手なワッショイだ、相手を思いやる心なんてあるわけはない。 彼等は武士ならぬ山法師といえばカッコいゝが、要するに単なる生ぐさ坊主だ。

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