鹿友会のこと 「はじめに」 |
△「鹿友会とは」その三 − 「鹿友会五十年史」創立当時 |
一、沿革 鹿友会の全身は、鹿角会といふものであった。会誌第三号(二十六年一月)に、「今より十余年前 (明治十八、九年か)岩泉源蔵君の上京に際し、鹿角会を麻布なる奈良金太郎君の宅に催せしことあり。 来会せしもの渡邊小太郎、石田八彌、内田清太郎、松江某、湯瀬禮太郎諸君、及び予と予が弟(壽次郎) のみなりし。是れ蓋し鹿友相会せし濫觴ならんか。」(石川伍一記)とある。而して当時在京鹿角学生 の中心をなして居たのは石田八彌、大里文五郎の両氏であった。次に石田男爵の鹿友会創立当時の思出話 (会誌第十四号)を抄録する。 |