鹿友会のこと
「はじめに」
 
 
△田中幸徳氏「手を引っ張る鹿角って?」
 
鹿友会誌をひもとく シリーズその壱 芝霧旅人
 
<はじめに>
 ある時、秋田市の友人が発行している会報の中で、鹿角人気質を紹介する文章として 「手を引っ張る鹿角」という活字が出てきた。それは彼の合気道の師である鷹巣町の七 尾専次郎先生の言葉として「北秋田の人間は他人の足を引っ張るが、鹿角の人間は手を 引っ張る」というのである。「ええ?、それはなにかの間違いじゃないの、鹿角の人間 だって手でなく足ではないかな?」
 
 その文章にはその続きはなにもなく、七尾先生が何を指してそう言ったのか詳しくは判 らなかった。その後、気になっていたこの言葉が「なるほどこの事なのかもしれない」 と思ったのが、明治の初め東北の山郷鹿角から、志を立てて東京に遊学した若き我が郷 士の諸先輩の集まりと活躍のことである。
 大里文五郎氏、石田八弥氏、内藤虎次郎氏、大里武八郎氏等今では名だたる鹿角の先 人ではあるが当時は向学心に燃えた青年諸氏であった。
 
 その名を「鹿友会」を称し、正式には明治20年より昭和16年頃まで約55年間も続いた 会てあり、年1回の会報発行を通して会員相互の親睦と研鑽を目的としたものであった。 当時この会と精神は秋田県内は勿論「奥羽になり響く」と伝えられた。
 「鹿友会誌」は全45刊、一誌B5活字版約70-80頁漢文調、旧仮名づかいのもので内 容は研究、論説あり、時事評論、文学ふりで純真で真摯な中にも自由に述べるのを楽し んでいたようでもある。
 
 現在(いま)を生きる我々鹿角人は、維新後混沌としたなかで精一杯生き、活動・活躍 する郷士の先人達「鹿友会の人々」に啓蒙触発されることが大いにあると感じる。  この会誌の総てを紐解くことは無理として、この後数回に亘り、出来得る限り精神を 紹介したいものと思う。…………

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