鹿友会誌(抄)
「第四冊」
 
△国記
 左の一篇は、元禄年間の板にて、全国を国別にして、その人情風俗を評判し、最明寺 入道の作に托せる人、国記といへる書中の一節なり、二百年前の観察なから、或は言の 当れるもあるべく、且つ昔と今と比較して見んも趣味ありておもしろからんかと、此 に之を抄録することとはなしぬ   正員 木村龜太郎
 
○陸奥
 当国の風俗は、日本の偏鄙なる故に、人の気ゆきつまりて、気質の倚尖(かたよりす ること)なること、万丈の岩壁を見か如し、適々道理を知りても前非を改むる事なし、 譬へば江水の流滞、塵積りて清むる事なきが如し、之によりて名人と呼程の人聞えざる なり、右の生得なる故、たのもしき事もあり、又なさけなき風もあり、五十四群の内、 何れも二ツ三ツに風俗のかわりめあれども、大枢此趣なり、
 
 此国は、日のもとのゆへに、色白ふして眼青みあり、人の形相最も賎ふして、言詞卑 劣なれとも、勇気は日本に比ふ処あるまじ、之によりて無益の死をする者あり、但し偏 僻なりといへとも、其意地潔白なる処あり、女は容貊色白し髪永く顔うるはし、但形相 音声すぐれて鄙劣なり、しかれども其心底の貞正なる事は、外の男子にも勝れり、
 凡当国及び出羽、上野、下野、上総、下総、常陸等、大概人の音声、上調子なり、し かる故、佞執なる事なく、差し当る処のみ、大かたに勤むる也、思廬分別の深き事はな し、殊に此の国牡鹿、郡載、鹿角、階上、津軽、宇多、数群の人、別して楚忽のあらま しなる風なりとぞ
 
 按するに当国、大国なる故、所々の異なる風土あり、然れども凡山おほき国なり、民 俗本書に詳なり、会津は白川より西へ入り、遥に山谷相続たる国なり、西は越後に隣り て、寒烈しく雪深き事、北国よりも勝れたり、岩城、相馬は東の海浜なり、故に外より は寒緩し、白川、二本松、赤館、三春、白石、福島等の所、皆中の形気なり、仙台の如 き当時繁昌の地なる故、風義上国に習へり、奥郡に至ては、南部は仙台よりも尖とに、 寒烈しく雪深し、津軽は南部よりも亦烈し、其風土に随て人心も自ら別なり、松前は蝦 夷につゝきて、風儀又異なり、しかれども、本書に説ごとく、一偏の鄙屈なる事は、各 かはることなし、古昔は奥の夷とて人倫にも通せず、禽獣のことき風なりしに、中古上 国の人、君長となり、政治を施す力により、其風に化せられ、をのつから人間の道をも しれるにや、されば近頃までは、民家に子をぶつかへすと云ふ事あり、産子三乳に及び ぬれば、其父母これを縊殺す、人是をあやしまず、父母も恬然として、惻む色なし、其 不仁なること実に夷狄の風なりしが、誠に仁風の遠く及べるにや、残忍の俗化して今其 事なしとそ、

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