鹿友会誌を紐とく
「第二冊(明治25.3)」
 
△明治二十四年十二月規則改正
 正員の中の学生以外、あるいは賛成員から寄付を更に申し出る者により維持費を設置 し、学生に貸費する。  即ち
 第十二条の次に、
一、積金臨時貸与
(1) 学校の月謝金に差し支えある者
(2) 疾病その他災難にあい、費用に差し支えある者
(3) 父母の疾病その他急変の報のために急遽帰郷する際の旅費
二、積金の貸与を得たる者は、二ケ月以内に返済
 
△各学業成績
 例えば会員入学の諸学校へ書状を発し、成績報告の回答を得る。
一、大里武八郎氏の例
 第一高等中学校回答
 当校生徒の試験点数は一切他に出してはいないが、第一学期成績により定めたる席順 は左の通り
 全員四十四人中、第二十五番
 
二、佐藤良太郎氏の例
 本郷高等小学校回答
 明治二十四年三月第二年級大試験成績:各課六十満点
得点:修身60、読書55、作文60、習字57、算術60、地理60、歴史60、理科58、図画60、 唱歌60、体操59、計649 − 59人中第1席
 
△「会員諸君に望む 石田八彌」
 鹿友会の名声、漸く奥羽地方に挙らんとす。
 初めのうちは数名で始めた会で、親密な会であり、主旨も徹底していたが、年々隆盛 なるも、互に面識なき会員も増えてきた。年齢等の違いも出て、これから先、不勉強、不品 行の輩も出ないとも限らない。為に、例会毎の出席は勉めてし、その他休日毎の往来 もそれぞれして欲しい。自分は海外に在た時、日本の富強の点、文明の度において、欧 米諸国に及ばないのみならず、日本人は劣等人種と見られていることに憤慨したもので ある。
 今、諸君は鹿角から出てきた。東京はいわゆる日本の欧米である。試しに思って欲し い、奥羽は日本の中で、どういう地位にあるか、奥羽人はどういう評を博しているか。 我鹿角は奥羽七州中、どういう地位にあり、我鹿角人種を知る者、どの位であるかを思 え。
 海外において、我々日本人は、総からく同胞たるを感じた。こうして見ると、郷関を 出てきた我々鹿角人は、皆兄弟だといってもいい。兄弟たればこそ、一挙一動喜びも悲 しみも共に感じはう。惰性に流さるゝことなく、瞬時も重大な責任を忘れず、勉学、会 の隆盛のため、真摯に生きて欲しい。
 
△明治二十三年版鹿角郡誌による
 町村数 二ケ町:花輪町・毛馬内町、八ケ村:尾去沢村・小坂村・錦木村・曙村・大湯村・ 柴平村・七滝村・宮川村
 物産 米、粟、大豆、稗、そば、小豆、麻、片栗、梨子、栗、榛、茶、牛乳、繭、生 糸、真綿、茜染木綿、紫染木綿、鎌、蒲(はばき)、金、銀、銅、鉛、硫黄、石炭、石 灰、石灰石、粘土、白砂、馬、牛、藍
 
△明治二十五年賛成員二十四名、正員四十九名

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