鹿友会誌(抄)
「第一冊」
 
△本誌の発行を祝ふ心にて   折戸龜太郎
 五の宮嶽は高くとも 登らは終ひには上るべし
 米白川は深くとも 渡らは終ひには渉るべし
 勉め学はゞ至らさる 隈はあらじをおもふとち
 いさめいさみつ敷島の 道をたとりて諸ともに
 けふの錦を着て帰る 時待身こそ最と嬉れし
 
 鹿友会にて本誌を発行するよしを聞き、喜ひのあまり家族(やから)を集め、 鹿角郡に縁因(ゆかり)ある詞を用ゐ、歌をつくりてよといひければ、争ひて書きづけゝるを見るに、 素より見るに足るものあらされとも、其志は嘉すへきにより、兎にも角にもとて、 幹事諸君の許に呈りぬ 折戸龜太郎識す
 
 見ぬ人はいかにてしるへきしらさらん 高みかしこみ五の宮か嶽
むねたけ
 しる人はしりても汲ん鹿角なる 米白川の清き流れを くめ女
 きて帰るけふのにしきのせはくとも ひろきは人のこゝろなりけり 恭助
 ますら男かきへき衣は故里の けふのにしきの外なかりけり 辰稚
 胸あはぬけふの狭布もますら男か 着てこそ見ゆれこまから錦 なゝくせ
 立なから朽ぬともよし其名さへ あとさへゆかしけふの錦木 失名氏
 ふる里のけふの狭布をけふよりは 胸せはからぬ人やきぬらん
 
△鹿友会誌の初刊を祝ふとて   独頷散士
 武蔵野に産声高し鹿の友
 
△会誌の発刊を祝はんとて   大里武八郎
 あすか川淵瀬定めぬ世の中に けふの郷をばゆめなわすれそ
 
△仝   小笠原勇太郎
 陸奥のはてに育ちし鹿の児とも 都の空に友呼ばふなり

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