鹿友会誌を紐とく 第四十五冊(昭和18.12) |
△巻頭言「発刊の辞 幹事長」(別掲) △青山芳得様御経歴(別掲) ※同御経歴最後の簡に次の記述がある(再掲)。 …… 提唱 川村竹治閣下、石川漣平閣下、百年の後は是非とも郷里に御埋骨せられる事に御願致 したし。 理由 冷たき一基の墓は、永遠に郷里の青年に発奮を与ふる力となり、其の後に続く人物の 輩出を促す力となるべしと考ふるからです、東京に葬られるが如き、枯骨として逐年人 々の記憶を薄くすることにならうと思ふからです、成るべく郷土の校庭の一角に設け、 郷土の生徒をして、日々其の霊感に接せしむる事に致したきものです。花輪、毛馬内の 両町の方々に、此の運動を提唱す、尚(人偏+尚)し墓所を学校の庭の一角に許されぬ ならば、碑でもよいでせう。 △追悼物故者には次の方々も記載されている。 青山鑛司・小田島信一郎・小田島富四郎・佐藤賢治・關琴一郎・高杉八彌・田中傳吉・内田 平三郎・小笠原敬三・角田英・廣島芳夫の各氏 |