鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△小田島富四郎君経歴
一、明治四十四年三月 盛岡中学卒業
一、自明治四十四年至大正二年 朝鮮に於いて就職
一、自大正四年至同八年 自家営業酒造業を営む
一、自大正十二年至昭和四年 鹿角郡役所より秋田県庁学務課に県属として就任
一、自昭和四年至十三年 花輪助役として田中傳吉・村山喜四郎・淺利佐助三町長に歴任す
一、昭和十七年十一月十九日 逝去す
 一、法名 即心院廊然仁岩居士
 一、行年 五十二歳
 
  追憶記
 田中、村山、淺利三花輪町長の女房役たる名助役の誉を得たる君は、不幸二豎の侵す所となり、 辞して其の病を養ふや、賢貞の令閨の至誠神に通ずるの看護に、幸福なる病人として、加療甚だ 努めたるも、終に長逝せらる、而かも其の死は、長兄信一郎君と僅かに旬日を隔てたるのみ、 小田島家の不幸、花輪町の悲しき同情の語り草となった。斯の人にして健ならんか、花輪町の 一人物として町治の上に幸福なるものありしに、今や亡し、悲哉。

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