鹿友会誌(抄)
「第四十冊」
 
△嗚呼 井上見正君
 大阪ビル地下室のレインボウ、グリルで総会を開いた時だったと思ふ。佐藤賢治さんが 一人の学生を連れて来て、本会に入会さした。それは故井上見正君であった。如何にも 温厚な、そしてなかなかしっかりした前途有望な青年だった。なんでも東洋大学の倫理学科 に籍を置いてるといふ話だった。
 
 其後鹿友会には顔をみせなかったが、佐藤さんからの手紙で、病気の為め岩手県平舘に 帰省、療養して居られるといふことを知った。まだ年が若いんだし、郷里の風光に親しまれ たならば、体力の回復せらるゝのも案外はやいだろうと信じて居た。
 ところが、佐藤さんからの通知で、九月十三日平舘で亡くなられことを知って、吃驚り したのである。
 
 僅か二十二といふ若さで、而も大学卒業もあと一年といふ時に、此世を去られた本人は、 さぞ残念だったと思ふし、まして親御さんとしては、どんなに落胆なされたことだろうと 思ふにつけても、哀悼の念のいよいよ切なるを覚ゆるのである。
 きけば、君は岩手中学時代も、東洋大学時代も、弁論部に籍を置き、雄弁家として大に 活躍したとか。鹿友会にて一度も君の雄弁を拝聴することが出来なかったことは、かへすがへすも 残念であった。(信一郎)

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