鹿友会誌を紐とく 第三十九冊(昭和12.1) |
△尾去沢鉱山ダム決壊 死傷者多数、昭和十一年十一月二十日 △〃 東京 安保庄一郎 誠にいたましい限り、事前に何等方法がなかったでしょうか。将来の為に努力しなけ ればならない。 △〃 東京 佐藤勝市 かくまでにむごく悲しき事である。吾が故郷の今朝の出来事。 △〃 長崎 工藤勝三 ダム崩れ、あまたの生命を流せしてふ、みちのくの鉱山、われがふるさと米白の伝 説(つたえ)ゆかしき清流に、今日も哀しきものをさがすか。 △〃 東京 福田豊四郎 去る十一月二十二日朝、尾去沢の災害の状況を視察見舞ったが、実に涙なくし て正視できないものであった。大盛寺の多くの霊に胸をいためた。泥土はまだ 流れて、其中に働く貧しき人達が、人の世の情を感じさせてくれた。底冷えする日、一 日一日と考えさせられた。 △〃 花輪 川村奥十郎 尾去沢のダム決潰惨事……之につけても技術者は細心の注意、最も緊要と思ひます。 △尾去沢鉱山ダム決壊惨害義捐金 1,566円52銭 12月23日 秋田県知事宛 本会員分は、390円50銭 △「噫! 佐々木彦一郎兄 小田島興三」 一郎さんは、学者であるよりも、詩人であるよりも、何よりも鹿角を愛する人であっ た。一郎さんは、口を開けば鹿角を語った。鹿角は一郎さんの心のふるさとであった。 クニビトハソノ故ノ イカナルカヲ知ラサセレド ワガ故郷カヅノニ アマリニ心ヒカルル……(鹿角民俗誌の自序) △五十周年記念事業準備委員会 協議事項 一、会誌記念増大号(五十年史)発行 二、祝賀大会 三、奨学資金の大募集 四、火災保険の代理業 △会員名簿賛助員二十二名、 正員、東京附近百三十名・地方百四十六名・郷里百四名 |