鹿友会誌(抄)
「第三十六冊」
 
△石木田さんの面影
 石木田さんが、仙台の大学病院に入院される時、大へんいやがられて、周囲の人達も、 説き伏せるのに困られたといふ話を、私は涙なしにはきかれなかった。長男の義一さんが 亡くなられたその病院に、御自身も入院されるといふことは、どんなにつらかったろう。 そして、義一さんが亡くなられた一年後に、而もその命日に、その同じ病院で死なねば ならぬ石木田さんは、何といふ悲しい不孝な運命にとりつかれた人であったろうか。
 
 私は、若い頃の石木田さんも、政治的に活躍した頃の石木田さんも殆んど知らない といってもいゝ。たゞ晩年に於ける石木田さんとは、割合に深い交渉があった。義一さん と私の従妹との結婚によって、親戚関係が結ばされたばかりでなく、大正十三年の総選挙、 昭和二年の県議の選挙の時、同一行動を執ったりしたのて、親しく語り合ふ機会は、可なり 多かった。
 石木田さんはいつ会っても、春風駘蕩といったやうな好印象を受けたのは、やはり人徳の 然らしめたものといってよかろう。町長に推され、県会議員に選出されたのも、さういふ 美点があったればこそ、小手先の器用な政治家とは全く類を異にして居た。
 
 悠揚迫らざる風格の中に、毅然として人に屈せざる強い性格の閃めきがあり、其上莫大なる 財力を有して居られたので、充分健康が保たれたならば、政治家として、もっともっとのびて 行かれたろうと思へば、何といっても残念でたまらぬ。(信一郎)

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