鹿友会誌を紐とく
第三十四冊(昭和7.1)
 
△「外濠崩潰せんとす 川村十二郎」
 事変(満州事変)は北支那一円に広がる兆しあり、母国人士の中で、他ごとの様な淡 白な態度をとる人がいる。成行によっては、我国の安危にかかわる重大事である。
 
△「随感録に聴く 月居忠悌」
 将来教育制度を立つるに当っては、玄人考えにのみ拘泥せざらんことを望む。
 (この中で国政の総てにつき、官僚支配の弊害を述べている。さながら現在(平成十 三年)の外務省騒動似たりの感あり)[筆二〇〇二]
 ……過去現在の大臣は素人だから、直ぐこの九尾の狐に魔化かされるのだ……何等の 行跡も遺さずに短命なる大臣稼業に終わる。
 ……偉大なる素人の出でて、独裁専制を待望する気分は、温(酉偏の温)醸(うんじょ う)されていないでしょうか。
 
△「消息 奈良野人」(別掲)
 ※一人の鹿角人が世に出た後、郷里に戻り、自然と親しむ様に、思いをはせたい………
 
△郷土の動き
 新八景当選記念、十和田湖碑除幕式
 鹿角名所:十和田湖、八幡平、大日堂、吉祥院、桜山公園、錦木塚、尾去沢・小坂両鉱 山、湯瀬温泉、大湯温泉、浦志内、猿賀野神社。
 ……
 
△例会
 第二百三十九会 昭和六年一月、丸の内電気倶楽部、出席三十四名  内藤湖南皇居御進講掛り
 
△内藤氏
 京都大学を辞し、近郊の田舎に暮らしている。
 自分は、健康となるべく刺激の少ない場所を欲している。鹿友会には出たいが、東京 には来たくない。田舎に居ると客除けにもなる。今は、いつまでも研究をまとめている。 今六十六歳、七十二歳位まで全部自分の研究した事が完成出来ると思う、これが念願。
 
△会員名簿(昭和六年十二月)賛助会員二十八名、
 正員、東京附近百三名・地方百二十二名・郷里百十六名・不明十四名

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