鹿友会誌(抄)
「第三十二冊」
 
△阿部藤助君の 頌徳記念碑 成る
 鹿角の為めに専心鋭意、活動せられし阿部藤助君は、未だ春秋に富み今後の活動を刮目 して期待する所多大なりしに、昨年五月二十三日忽如として逝かれ、郷土人の哀惜未だ 去り能はざるものがある。かくして故人の遺蹟を偲ぶべく、宮川村五千人の総意と、 一千三百円の工費を以って建設せられつゝあった頌徳記念碑の工事完成し、これが除幕 の式典は六月末頃、同村宮麓に於ていとも荘厳に且つ盛大に挙げられた。県よりは齋藤 農林主事、戸澤主事補、最も故人と親交深く、組合事業指導の任にあった坂野伊織氏初め、 官公署長、各町村長、其他の来賓数百人参列せられた。
 
 因に同君は、明治十九年に宮川村に生れ、若くして父を喪ひ、大舘中学校を卒業後、 一家の主となり、一村一郷の産業及び自治の為に不朽の功績を遺されたのである。即ち 大正三年村長就任以来、産業組合を中心として村治の改善に心血をそゝぎ、経営画策、 至らざるなく遂に今日、鹿角に於ても優秀なる村として県知事等より表彰される事数多、 又電灯会社を起し、或は鹿角郡農会長、産業組合郡部会長、県信用組合連合会理事、 県北購買組合理事、県農会議員等の名誉職として本県産業経済の進展、地方自治の改善に 貢献せられたのであったが、若くして永眠せる君の為めに今更乍ら哀悼の念の禁じ得ざる ものがある。

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