鹿友会誌(抄)
「第二十冊」
 
△亡友追悼録
○高橋民治君 君は毛馬内の人、高橋昇治氏の息にして、幼より神童を以て目せられ、 其の本庄中学を卒業する際の如き、平均点九十八点に及び、開校以来の秀才として知事 より破格なる銀時計の授与を受くるに至り、直に無試験を以て高等工業学校に入学を許 可され、前途洋々、海の如くなりしが、惜しむ可し、蒲柳の質屡々二豎の為めに困めら れ、大正五年断然学業を廃し、郷里に帰りて厚く療養中なりしが、大正六年十一月三日 を以て遂に白玉楼中の人となられぬ、君の頭脳の如何に秀抜なりしかは、高工一年時代 に、中等教員の数学の検定試験に応じ、難なく通過したるを以ても証す可く、天此の才 人に籍すに齢を以てせば、他日の進展蓋し計るべからざるものありしならむ、今や邦家 多事にして各方面に人材を待つの要求、愈々切なるの秋、君を惜しむ、豈に一家一郷 の私情のみならむや。
 
  故高橋民治君略歴路
明治三十一年四月 毛馬内小学校に入学(八歳)
同三十九年三月 同校卒業
同四十年四月 毛馬内準備場に入学
同年十月 同場卒業
同四十一年四月 本荘中校二年級に入学
同四十四年三月 同校卒業、成績優等に付、時の県知事より懐中銀側時計一個賞与せら る
大正元年八月 東京高等工業学校に無試験にて入学許可せらる
大正五年七月 病気の為同校を退学、十一月三日遂に没す

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