鹿友会誌を紐とく
第十二冊(明治43.12)
 
△「二大問題(承前) 川村十二郎」
 支部設置については、今から十年ほど前の明治三十二、三年頃、秋田郷友会と合併し て支部を設置すべきとの意見を言った。当時は時期尚早となったが、四十年に幹事に就 いた時、秋田側と連絡をとり、ようやく支部設置の気運が高まった。
 四十一年総会において報告し、九分九厘まで交渉がなって、幹事を次に引き継いだ。 しかし、その後一年音沙汰なし。またその後、現幹事は、「前の交渉を取り消し、秋田 側に対し、個人的入会を勧むる事」との決議をした。
 
 前交渉に対し、反対意見は大体五項目位はあったが、どれも本来の鹿友会精神に照ら し、薄弱なものである。まして会の縮小を画るなど、最早殆ど鹿友会の存在意義など見 出せない。一年に二、三回の例会・連絡等は、幹事三名などは必要ない。
 
△「鹿友会幹事諸君 大里武八郎(於台北)」
 今まで東京に在るときは、あまり思わなかったが、現在離れて会の現状をみるに、や はり「去るもの日々に疎し」の観を感じる。よって二三の要望を試みる。
一、振替貯金(郵便貯金)口座番号を書き込んだ用紙送付
二、終身会員の設置 − 一時金の送付
三、会誌二回発行を要望
 
△「会誌を通して観たる鹿友会 北米加州 川村直哉」
 (次のようなことを述べている)
 総会や例会の出席者の少ないことを、かなり皮肉っている。例えば、
 鹿友会は親の脛かじり、粕で成立している(酒あり、会合不要)。
 決議に関して意義をはさむ(本来、決議は二分の一以上の出席とあるのを、十五名に て決めている)
 本会は会があって、その後に例会を持ったのでなく、自然発生的に例会を持ち、後に 会や会則・会誌を作ったものである。二十年前の創立当時のまゝでは、やはり鹿友会が殿 様主義に墜るのではないか。
 例会等は不必要ではなく、いかに発展すべきかを考えよ、そして、実行を計るべきで ある。その方策として、幾つかの提案をする。
 
一、育英事業
二、通俗夏期講話会
三、鹿角富源調査
四、基本金蓄積、その他
 いずれにせよ、議論ではなく、手に汗して働かなければならない。
 
△書評
 前述に対して、中島氏は、次のように述べいる。
 これぐらい皮肉や攻撃を露骨に無遠慮に言ってきた方も珍しい。
一、例会不必要論は、暴論である。
二、飲酒を廃すべきとしているが、酒談会はあってしかるべきである。
三、結論に関して、理解があるようだ。前の決議の頃が四十年、珍しく二十七名の会 になり、無理な修正意見が通ってしまった。これによれば、実際は永久に改正できない と同じくなってしまう。やむを得ず昨年は十五名の決議にて改正を行ったものである。
四、例会や会誌だけで、親睦や智徳の研磨が出来るかという皮肉に対し、尤もだと思う が、それは会の一端のことであるし、まして例会も会誌も不完全なものではあるが、無 意味、無益のものでは決してない。
 提案については賛成である。こちらも幾つのか試行をしているところである。
 
△鹿友会回想記「思出で 湯瀬禮太郎」
 鹿友会二十五六年の歴史を時代区分
 創立期 − 上古(神代)……石田八彌氏、内田清太郎氏、大里文五郎氏
 〃 − 中古……石田・内田両氏留学、大里氏永く面倒
 〃 − 近世……今弟大里武八郎氏、内藤虎次郎氏、川村竹治氏、故大里政吉氏
 〃 − 現代……佐藤良太郎・諏訪冨多・内田守藏・川村十二郎・中島織之助・小田島信一 郎・小田島省三
 
 上古は神代、混沌
 中古は幼年生徒遊学時代、例佐藤良太郎・田村定四郎(両本郷小学校)
 近世は会規則・会誌設置……中学生時代
 現在は中学少数、多くは官・私学大学卒
 
△鹿友会回想記「初めて出た頃 小田島徳藏」
 明治二十九年に上京、初めて会へ出た。大体は上野見晴亭で、その頃大里(武)・、田村 (定)・佐藤・中津山・樋口・川村十二郎その他の諸兄、西片町で鹿角の塾を作っていたらし い。
 総会は、一番盛んだった頃、神田明神開化楼でやった。その時、今の長年寺住職川村 眞明君、長福寺住職吉田継道君が魚料理を食べるかどうか、と稚い好奇心で見ていた記 憶がある。
 
△鹿友会回想「見晴亭とゴロゴロ 小田島信一郎」
 ゴロゴロとは、内陣を組み、一人中に入り、後ろ手に何かつかみ易い物を回す、ゴロ ゴロと言った時に、その物が手にあった人が芸をする、という遊びである。
 
 東京で学校生活を送ったのは明治三十五年、十八の春で、当時の入会基準は何ケ月以 上東京に居住した者という内規があった。入学時期は忘れたが、今年で九年目になる。 九年の間、世の中は変化した、今も変化している。当時は中学生が主だったから、ゴロ ゴロも大流行りであったろうし、会場も若々しい空気が漂っていた。今は独立している 者、高等・大学・専門等半分と大人が集まっている。会場の雰囲気もジメジメしているよ うに思える。私も年を取ることは嫌いだが、いかんともし難い。しかし、心掛けだけは 何時までも若くしたい。
 
△例会
 百六十九例会は九月、麹町清水谷公園内皆香園、出席十八名
 新事業奨学金制度を設ける件
 
△明治四十三年賛成員二十三名、  地方会員百十四名(在郷会員七十名)、在京会員四十六名(学生十七名)

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]