鹿友会誌(抄)
「第十二冊」
 
△史伝逸事
○古代鹿角郡の史実   弘前 内田守藏
 右は別項通信欄に掲げたる内田君の近信の一節たるが、我が郡に因縁ある事なるに依 り、特に標題を附して、別に本欄に入るゝことゝなせり、而して其の史学上の詳細なる 説明は、当然小田島省三君を煩すべきものなりと信ず(編者)
 
 茲に一寸申上候は、小生が始めて耳にせる事実に御座候、 故郷の古事に関せる事なれば、或は諸君已に御存じならむも、此津軽一帯の地を、鹿角 郡と申せし事に御座候、古にありては、上角郡と申せし事は、已に小生も耳にせる事に 御座候も、鹿角郡と申せし事は、未だ聞き及ばざりし次第に御座候、
 
 其証拠と申すべきは、或る陸軍徴兵官の、発見に係るものにして、同氏が嘗て浪岡の 町に参られ候時(浪岡は弘前より青森に至る途中の停車場のある所)、或る旧家に一泊 せるに、其宿の主が取出して見せたる、古掛物の中に『奥州鹿角郡浪岡の城主、何某殿 の求めに応じて、之れを書す』と書いてありたる由に御座候、
 其家は古代、嘗て浪岡城主たりし家なる由、其徴兵官は、左様な事に、趣味ありし人 なるや否やは知らず、而して其家の苗字名前を忘却せられ候由なれど、只此地一帯を鹿 角郡と称したりし由を聞きたりと申され候、
 今も承はるに、浪岡町には、近所に古城跡を存すとかや、されば、只聞けばげもなき 事に御座候へ共、故郷鹿角に縁故ある因縁と聞けば、何んとなく、心なつかしく候故、 一寸一筆書き加へ申候。

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