GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

柳沢弘志:柳澤弘志

 「鹿角の歴史案内」の著者。 「上津野」研究発表バックナンバーNO.12同NO.20
参考(出典):「鹿角の歴史案内」
 
△鹿角の歴史案内 はじめに
 柴平(しばひら)村に生れてから父の職業柄、岩手県内を転々と移り住んで、学校は一二回も転校した。 それでも、柴内(しばない)小学校に四年間、高校時代の二年間、三〇歳から六〇歳までの三六年間この地で お世話になった。半分よそ者であるが、係累はまぎれもなくこの地で暮らしている。
 父は、旧姓阿部なので八幡平長内(おさない)の阿部の血を引いている。しかし、その阿部も秋元に嫁に きていたので秋元の血も流れて居る。だからこそと言って、鹿角四氏をひけらかすつもりはさらさらない。 今となれば、どなたもそれなりにいくばくかのつながりがあろうと思われるのである。
 
 自分のルーツを尋ねて歴史を構築するのは大変結構なことである。しかし、それが世に出るとき、 その書いたものは大きな影響をあたえ、それが通説となって一人歩くならば、大変なことになる。 世に歴史を語る書物は無数にある。しかし真実は、語る人によって、本当のことを隠したり、 一面だけを語ってゆがめたり、あるいは美化したりしてしまいがちである。歴史をひもとくとき、そこが一番見極め の大切な点ではなかろうか。
 
 歴史を語る資格は誰にでもある。学者でも、私のような歴史愛好家でも、 はたまた全くの素人でもなんら制限はないものと考えるものである。 ああではないか、こうではないかと思いを語れるのが歴史である。だから、この本に権威は求めないし、 能力から言ってもできるわけはない。
 まず、あちらこちらから北東北に関する歴史関係の書を漁って、紹介してみたいと思いまとめてみたのがこの本である。 研究論文のような、一つひとつの出典の明記は省略した。何だこの説は、などと言われても、巻末に収載した 参考文献のどれかに書かれていることは確かである。そのなかに、さしたる根拠もなく自分の考えを入れてみた。 たくさんの矛盾点が見つかることでしょう。権威者や先人には誠に失礼な言いぐさと思われるでしょうが、 どうかお許しを請うものである。
 
 できるだけ真実を求め、偏見なく郷土の歴史を編纂しようと思う。しかしそれは、大変難儀な仕事になることは予測できる。 なぜなら、歴史は人の手でつくられたものでしか後世の者は知ることができないからである。 真実は何かを求めても力が及ばない。せめて歴史の出来事に対してこんな風に考えている人も居るんだなという面を 数多く伝えたいものと思いたったわけである。
 この本がきっかけとなって、一人でも多くの読者の皆様が、うそではないか、もっと知りたい、 調べてみたいということになれば、私の望外の喜びとするところである。 巻末の参考文献をひもといて、本当の真実を明らかにして欲しいということが、この本の主旨である。

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