GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

山本幸藏:山本幸蔵

 毛馬内町教育の創建に尽力。昭和十一年十一月八日没。

参考(出典):「十和田町の先輩」
 
 山本家は先祖代々開墾を計画実施し、地主として小作人を愛護した。すなわち毛馬内の中野新田、 柴平では大曲部落、七滝では上川原と大地の両部落の田畑や山林の多くは、同家の手によって開拓されて、 山本幸蔵に至った。幸蔵は安政四年三月三十一日喜七の長男として生まれ、明治七年毛馬内小学校が 創立されたとき、泉沢熊之助、黒沢准治と共に教鞭をとり、本町教育の創建に尽くした。 校舎が狭くなれば道場を開放して教室に充てた。また育英の志の厚く、有望な子弟のため中等又は高等教育を 受けさせ、社会有用の材を養った。
 
 幸蔵は壮時より武道に励み、山本道場を中心として幾多の剣士を輩出した。同家の武家門は安永九年(1780年) の建設にかかり、道場附属の文化財と評価されている。また趣味として囲碁をよくし、本町における指導者であった。 その日常生活は、謹厳で古武士の風格を備えた本町最後の人で、昭和十一年十一月八日死亡した。

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  • 山本幸藏翁略歴

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