※お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい。 「鹿角の民謡」伝承者。尾去沢。 鹿友会員。佐藤喜三郎息。夏季休暇で尾去沢に帰郷中病没。 平成9年母子保健の向上で鹿角市一般表彰。花輪字上花輪。 三井物産などに勤務。 明治三十四年十二月以来、錦木村字枯草坂の佐藤定吉所有地より、勾玉はじめ多くの 遺物が出土して話題となり、大正元年学者の調査によって、奈良時代の古墳であることが 確認された。本郡における、遺跡発掘の嚆矢である。 「上津野」研究発表バックナンバーNO.31。 「鹿角の民謡」伝承者。尾去沢。 「上津野」研究発表バックナンバーNO.3。 茨城県下館市。横山大観を師とする。昭和四十九年から十年間湯瀬にアトリエ。 「鹿角の民謡」伝承者。八幡平。 由利矢島の人、明治二十年代鹿角郡役所吏員。花輪桜山公園の戊辰の役戦死者の 忠魂碑は、川村左学の撰文、佐藤武友の書である。石鳥谷渡部家にも彼の書がある。 「上津野」研究発表バックナンバーNO.16。 鉄工業界で活躍した、佐藤鐵工所社長。 花輪の高屋学校は学校雑務掛佐藤長三郎の奔走によって、部落民に高割りで資本金・資本米 を課して明治七年に開校した。同十四年は尽忠報国社(じんちゅうほうこくしゃ)をもって、 経営資金に充てた。 「花輪北小・十和田中学校校歌」作曲者。 昭和50年鹿角市文化功労者。 鹿友会員。大正十二年秋仙台にて逝去。 「鹿角の民謡」伝承者。八幡平。 昭和56年鹿角市文化功労者。 平成17年地方自治の振興で鹿角市功労者。尾去沢。 昭和62年鹿角市文化功労者。 「上津野」研究発表バックナンバーNO.12 ・同記念講演バックナンバーNO.18 。 鹿友会員。曙。昭和十一年十月十五日没。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.14。 明治40〜昭和47、花輪西町生れ。花輪二中校長、菅江真澄研究をライフワークに、また郷土史編集。 平成17年地方自治の振興で鹿角市功労者。正五位旭日小綬章。八幡平。 平成十七年七月十六日死去。 南部藩給人佐藤新之助(花輪仲小路の大地主で「佐新さん」と敬称された名家)の長男。鹿角郡におけるリンゴ栽培の成功者。 花輪出身。父は佐藤良太郎。佐藤光は息。名匠カザルス門下のチェリスト。 民族研究家。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.8。 「鹿角の民謡」伝承者。八幡平。 仲小路のワコ様、佐藤要之助の息。 旧曙村長内の「下の家」の人で性豪快、意志の強い人であった。馬が好きでいろいろと独学 で研究し博識であった。永く畜産協議員(選挙制)として鹿角より選出され、馬の品種 改良には私財を投じてまで尽力した。 |