幻の郷士・野尻左京
 
十、結び
 尾去沢産の金銀銅は、はじめ米代川の舟運を利用して能代へ出し、京大阪へ廻送して いた。又鉱山への物資も、米代川を利用して扇田へあげ、そこから牛馬につけかえ、尾 去沢や比内各地へ運んだ。その輸送に当ったのが、花輪丸佐運送店の佐藤家である。佐 藤家の先々代は大谷阿部治兵衛家の出である。秋田鉄道が進むにつれて、尾去沢への物 資輸送の拠点を土深井、毛馬内に移した。秋田鉄道開通と同時に花輪の現在地へ本店を 置くようになった。或る見方からすると、三百年の昔、真金山を越えた左京が、再び形 をかえて南部へもどって来たともいえると思う。
 
 鎌倉御家人四天王の鹿角統治以前から、この地方の開拓に当った三郷士の一人野尻左 京は、伝説の郷士、幻の郷士ではなく、鹿角の鉱山開発にも、大きな影響を与えた実在 の郷士であったのである。その興亡の跡を尋ねて見て、歴史の因縁の不可思議にただた だ驚くばかりである。他の二郷士の手がかりは全くないが、少しでもかかわりのあるこ とが発見されたらお知らせ下さる様お願いして、終わりとしたい。

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