「鹿角」
 
△八 神秘幽邃の絶勝 鹿角の十和田湖
<十和田湖案内>
 十和田湖は、秋田青森の県境に跨がる湖水であって、西南は本郡七瀧村に属し、東北は 青森県上北郡法奥澤に属して居る。土地高燥、海抜千四百五十尺、四囲の山嶽は更に之を 抜くこと五百乃至千尺に及ぶ、山深く土地僻在して居るけれども、天下の絶景たる自然の 美景は、僻在の故を以て其儘にして置くことを許さない、
 本県に於ては、前知事森正隆氏、大に十和田開発に意を注ぎ、秋田顕勝会なるものを 発起し、在京新聞雑誌記者団を迎へ、之が紹介につとめてより、種々の県当局の画策 する処となり、県費壱万数千円を投じて、十和田道路の改修工事を起工するに至り、 今や既に竣工して交通の便開け、又湖上には南祖丸其他の発動機船を浮かべて、遊覧客の 弁を計るに至ったのである、
 爾来、暑夏に入るに随ひ、遊覧客年々多きを加ふるの盛況を見るに至った、諸方の士、 十和田を訪ぬるに際し、尤も至便なる通路として、奥羽線大舘駅より下車し、秋田鉄道に 乗り換へ、僅一時間半にして終点毛馬内駅(現十和田南駅)に至る道によるをよしとする。
 
 毛馬内駅からは、自働車・人力車・馬車等の便を借るによい、遊覧客の為めに汽車発着毎に 多数詰めかけて居るのである。
 此の毛馬内駅から十和田湖畔に至る道程を示してみると、
 毛馬内駅から県道に出て北方に向ひ、錦木の村落を過ぎ、古川橋を渡り、毛馬内町に 入る(町の中央に自働車停留所がある)
。  自働車停留所から北方来満街道に入る、途中右方尾去澤鉱山発電所を眺め、集宮アツミヤ橋を 渡って大湯村に到るのである、其里程一里半、大湯は温泉場のこととて、湯治客絶えず、 十和田遊覧者は一泊して、自然の温泉に旅塵を流し、身を浄めて行くがよからふ、旅舘は 上の湯千葉旅舘、下ノ湯龜屋旅舘、何れも内湯の設がある。
 
 大湯温泉場から中瀧に至る道路は、稍平坦である、十和田街道に入る途中、大和橋がある、 大和橋とは、大湯の大と十和田の和とを合せし作った、最近の名勝である、橋の左方に 小坂鉱山第四大湯発電所が見える、是かに愈山間に入るのであるが、中瀧までは、常に自働車・ 馬車・人力車の便が絶えることがない、道路は大湯川の右岸に沿ひ、或は離れ或は会し、川瀬の 音に耳を洗って進めば扇の平に至る、此所は第三発電所(昨年焼失)の所在地であり、鉱山に 通ずる鉄索の中接所である、
 此辺から稍深山の景を備へて居る、送り迎へる山又山の間を進めば、肌寒き山風が サット袖を煽って、夏時とも覚えぬ感がする、白澤部落を過ぎて、止り瀧発電所に至れば、 ダイナモ回転の音、滝瀬を流るゝ水の響、中々に賑はしくせはしい、間もなく中瀧に達する。
 
 前方には銚子第一発電所、及び百六十尺の銚子の瀧が水煙濛々として落下する処が見える、 其響たるや、四囲の静寂を破って、地軸に徹するかと思はれる程である、大湯から約四里、 愈此辺から一すぢの上り道となる。
 中瀧から十和田湖畔に至る里程二里、緩かな登りとなり、深山幽谷を流るゝ水の音と、 蝉の声とを耳にしながら、紆余曲折、処女林の中を行くのである、約一里位で湖水と河水との 分水嶺をなす頂上に至る、林間より洩れて太古の神秘を語る、静かな湖面を眺めては、疲労も 冷気も打ち忘れ、一息に発荷ハッカまで下り得るのである、発荷は地幽に境静かなる処、旅舘 十灣閣がある、清楚で而も壮麗、湖岸中第一と称されて居る。
 
 発荷から左方九町にして、和井内ワイナイ氏の邸宅及孵化場に至る、此処から眺めた十和田は、 水面一碧、渺々として海の如く、八甲田山は遠く雲煙の間に霞み、御倉山の清容楚々として 喚べば応へんとす、
 眼下の見える群島は、坐するが如く浮ぶが如く、中山半島の奇巌高く雲際に聳え、岸壁は 老松古枝を点じて湖心に突出すること半里、其風景の神秘秀麗なる、松島に勝るとも劣らじと 思はれる。

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