〈飢饉と食べ物〉
△土を食べて糞詰まり
 飢えた人達は、山野の草木を食い尽くすと、土を探してこれを食べた。天保飢饉のと
き、加賀(石川県)から来たと云う修験者が、長坂村(北秋田具田代町)の民家に泊ま
って伝授した、立花村(大館市)鳴滝沢の山の土は食べられると云うのが言い伝えられ、
これを掘るために毎日大勢の人々が群れ集まった。それは、能代周辺から阿仁・小阿仁・
比内方面にまで及び、米代川・阿仁川を利用して舟で運んだ。成る程、この土に根花ネバナ
の粉(蕨ワラビ根の粉)を入れて餅にこしらえたのを見れば、旨そうに見えるが、これを
食べた者は末には糞詰まりとなり、大変苦しんだそうである。
 この土は色が白くて青味があり、味は酢かみがあって、しなみもあった。土の名を石
麺セキメンと云って、漢カン(中国)でも凶作の年には食べると本に書いてあるとのことであ
る。
 
 また檜山町(能代市)や妹尾舘セオダテ村(鷹巣町)にも、食べられる土があったとの言
い伝えがある。
 このような土の調理法については、南部藩の横川良介が『飢饉考』で次のように述べ
ている。
 「地土は、田畑山林川沢の嫌いなく、砂石少く土めよきを択びとり、右の地土一升に
水四升を入れ、桶の内にてかきまぜ、米をとぐ如くにして上水を去ること数回、更に水
四升を入れてよくかきまぜ、別の桶に入れて底に残る砂石を去り、又水四升を入れ前の
如くかきまぜ、水に浸して置くこと三日間、一日の内三回づつかきまぜ、すまし、上水
をかえて葛粉、わらび粉を入れる。これをまぜた土一升に水二升を入れて、煮沸して薄
い粥の如くにして食う。また、無毒の草の葉や根等を入れて煮て食うもよし。食量は一
日に三合より五合まで食うべし。誠にこの法五穀を絶て飢えば、身体いよいよ強く健か
なれば、かの荒凶飢饉の時に当りて、不飢延年の秘法と云べし」。
 
 また矢島藩(由利郡矢島町)の記録『古今豊凶録』に拠れば、
 「(前略)若し飢え疲れ候者有之候とて、直に食物与うべからず。まず、赤ねば土を
とろとろする程水にてとき、茶碗なて一ツ飲ませ、間をおきて薄かゆを与え、疲れいえ
候はゞ差し立て申すべく、必ず見捨ていたすべからざること」と、飢え人に対する食事
方法を教えている。
 
△主な糧物カテモノと救荒食物
いたどり、芋の葉・茎、蓮の葉・茎・根、ははこぐさ、はしばみの実、はこべ、人参の葉、
牡丹の花、へびいちご、ところ、栃の実、ちちこぐさ、をけら、わらびの茎・根、からす
瓜の葉・茎・根、かぼちゃの茎、かたくりの葉・茎・根、よもぎ、大豆殻、大豆葉、たらの
木の芽、そば殻、つゆくさ、つつじの花、うるい、漆の実、うこぎの芽、うつぼ草、の
びる、のぎく、おみなえし、くずの葉・根、くるみの花、かん草、やまごぼう、やまうつ
ぎの葉、山吹の芽、またたびの葉・実、まゆみの葉、まりこ草、ふきのとう、ふきの葉・
茎、ぶなの木の葉・実、松皮、藤の葉・花・実、ぶどうの葉、こごみ、ごぼうの葉・茎、さ
さげの葉、さいかちの葉、さんしょうの芽・実、ききょうの葉、ゆり、みつば、すぎな、
ぜんまい、その他山菜類全部。
 
 これらの救荒食物の中で、最も多く用いられたものは、蕨ワラビの根から採った澱粉で
作った「わらびの根もち」であったが、これは、米の粉か麦の粉を混えて食うべし、蕨
の粉ばかり食ってはいけないと注意を与えている。
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