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七座神社
米代川からのきざはし(階)
七座神社
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「七座ナナクラ神社」(通称七座山天神宮)
 
祭神
 国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・菅原道真尊
 
由緒
 斉明天皇四年(658)、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷エミシ征伐のためこの地まで赴い
た。この軍に対し、齶田アギタ・渟代ヌシロ・肉入籠シシリコの蝦夷は「私たちは弓矢を持っていて
も決して敵対するものではない。齶田の浦神(七座山天神宮)に誓って申し上げる」と
許しを乞うた。首長恩荷オガのこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎら
い、七座神社には船一隻と五色の綵帛シミノキヌ(絹織物)を奉納して、この地域の平和と発
展を祈願したと云う(『日本書紀』に拠る)。
 また、天正十八年(1590)、豊臣秀吉が北條氏を討ち果たした際、故あって織田信雄
公が秋田に流された。その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、
その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
 藩主佐竹公も代々、七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、
社殿の造営にも多額の幕財を献じている。
 明治十五年、県社(秋田県)に列せられる。
 もともと、境内から米代川に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅
夫が船を繋いだと云う故事によるものであり、今なお、その古ぼけた四十三段のきだは
し(階)は、信心の篤い崇敬者の"お参りの道"となっている。(以上、秋田県神社庁発
行『秋田縣神社名鑑』に拠る)
 
「因みに」
 七座山(主峰:権現座287m)は、稜線に七つの頂きが並んでいることから名付けられ
とされます。
 この七座山は、米代川の急流を遮るかのように横たわっている。対岸(右岸)に鎮座
する七座神社との川幅は狭い。
 即ち、往来する川船を検閲するに恰好の場所なのです。SYSOP