5200ダンブリ長者
 
 数百もの馬を放した山の上に池があって、其処に竜が天から下りて来て住んでいまし
た。その池の水を飲んだ馬は、竜馬リュウバみたいに一日に何百里も走ることが出来まし
た。そこでその場所を、竜ケ森リュウガモリと云います。
 何でも出来る不思議な力を持った目、鼻臭ハナグサ、手長、足長と云う頭カシラが四人いま
した。四人して人を沢山使って、あちこちに畑とか田などを開墾しました。
 その頃、鹿角や比内へ行くとき、湯瀬ユゼから小豆沢へ抜ける険ケワしい谷を通らなけれ
ばならないので、人も馬も大した難儀をしました。そこで、長者は杉沢スギサワの山奥に天
狗が住んでいると云うことを聞いて、天狗を頼みました。そうすると、その晩のうちに、
天狗達は湯瀬の谷に大木を切り倒して、橋を架けました。これを天狗橋テングバシと云いま
す。
 天狗達はその晩のうちに、仙北(仙北郡)越えの道も開こうとして、長牛滝ナゴシタキの
辺りに大木を用意したが、夜が明けてしまいました。そうしたら天狗達は、仕事を止め
て飛んで行ってしまいました。そこで、この場所を夜明島ヨアケシマと云うようになりまし
た。天狗と云うものは、その時に出来なかったことは、後でしないと云うことです。
 
 二人はどんな望みも叶えられ、したいことは何でも出来ると云う身の上でしたが、四
十過ぎだと云うのに、未だ子供は一人も出来ませんでした。二人は悲しんで、毎日毎日、
大日の神様を拝みました。そうするとその願いが通じたのか、女の子供一人生まれまし
た。
 大きくなり次第に、賢くて可愛らしくなったので、秀子(別名桂子カツラコとも云う、後
の吉祥姫キチジョウヒメ)と呼ばれました。子供はみんなに可愛がられて大事にされて育ちま
した。
 比べる者のない位大金持ちになった二人は、みんなにダンブリ長者と云われるように
なったけれども、その頃、長者を名乗るには、天子テンシ様の許しを貰わなければなりませ
んでした。
 そこで、都へ上ってお願いしたら、天子様から、
「長者と云うものは、世の中のすべての宝物を持っていなければならぬ。第一の宝は子
供である。お前は子供を持っているか」
と、お言葉がありました。
 「女の子が一人ございます。賑やかな都を見せたいと思いましたので、連れて参って
おります」
とお答えして、天子様に見せました。秀子は、大した綺麗な女になっていました。そこ
で天子様に気に入られて、宮中キュウチュウに仕えることになりました。
 
 長者夫婦は、本当の長者にして貰った他に、沢山褒美ホウビを貰って、喜んで古里に帰
りました。
 都に残った秀子は、吉祥姫と名前を変えて、天子様に可愛がられました。そして、と
うとうお后様にして貰って、大した幸せに暮らしました。
 そうしているうちに、長者も弱ってしまって、死んでしまいました。毎日、悲しんで
ばかりいた長者のお方も、間もなく死んでしまいました。不思議な力を持った四人の頭
カシラも、天に登って姿を隠してしまいました。宝の泉も、ただの水になって、宝物もみん
な無くなってしまいました。沢山居た人も、あっと云う間に、居なくなってしまいまし
た。
 
 それを聞いた吉祥姫は悲しんで、
「私の父と母は、夢に現れた大日神のお導きで、長者の位クライまで戴けました。その謂イワ
れを是非後の世まで伝えたいと存じます」
と、天子様にお願いしました。そうしたら天子様は、
「神は国の守りである。長者が尊タットんでいた大日神の社を、長者の古里に建てなさい」
と仰オッシャいましたので、お使いの者が小豆沢に来て、大日堂ダイニチドウを建てました。
 年月トシツキが過ぎて、吉祥姫もとうとう死んでしまいました。死ぬ時に、
「私の亡骸ナキガラは、古里の土の中に埋めて下さい」
い言い遺ノコしました。そこで、小豆沢の大日堂の側に、埋めました。墓の側にイチョウ
の木を植えました。イチョウの木の側に、吉祥姫に因んで、吉祥院と云うお寺が建てら
れました。
 
 大日堂のお祭(ザイドウ)が、正月二日に行われるようになりました。長者夫婦が夢
の中で、神様のお告げを承けて運が開けてきたのが、正月二日であったからです。
 都から踊りや、笛、太鼓などを教える人が来て、大里オオザト、小豆沢、長嶺ナガミネ、谷
内タニナイの四つの村の人達が、お祭のときに舞を納めるようになったと云います。

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