0203三ノ岳の石山(松舘)
 
    参考:八幡平地区老人クラブ連合会老人大学学習記録集「八幡平伝承ひろい」
 
 三ノ岳の中腹に、昔から松館の特産の一つとして火石と壁土がある。これは火に強い
ため、掘り出して小坂鉱山や尾去沢鉱山に運ばれて耐火煉瓦の原料として、また溶鉱炉
の型として使われ、終戦後まで続きました。これらの掘り出しや運搬は現金収入を得る
仕事として、他に働き場のない時代に唯一の仕事として、村人のために役立ちました。
 年間数十万貫の石や壁を掘り出し、これを山から運ぶ作業は冬場の仕事で、山には飯
場小屋もあったと云う。男や女、子供まで手伝うなど、大賑わいでした(因みにSYSOPも
手伝いました)。山から下げるには人橇で、多い人は一回に二百五十貫も引き出したと
云う。人家近くまで引き出した石や壁は、朝暗いうちから数十頭の馬橇の列を作り、小
坂鉱山までは日帰りで、帰りは夜になったと云う。
 
 また、この石は火打ち石として、火を出すのに使われた。即ち煙管キセルの刻み煙草に火
を点けるに、火口ホコチ(麻殻オガラを焼いて粉末にしたもの)に一旦火を点けてから煙草に
点けるもので、村人は何時も使用していたと云う。
 今一つ、尾去沢鉱山では、未だ選鉱技術の発達しない時代に、金フキ臼(からめ臼)
として使われ、現在も尾去沢公民館に保存されている。これも石山から切出しして臼を
作り、先代の人達が手間を稼いだものでした。これは昔、作業は個人の請負につき、各
戸毎に使用されるため、相当数の石臼が作られたと云う。

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