06 「鹿角日誌」
 
 松浦武四郎(文政元年(1818)〜明治二十一年(1888))は生まれは伊勢国、江戸時代末
期に蝦夷エゾ(北海道)・千島や北蝦夷(樺太)などを探検した人で、地理学者でもあっ
た。北海道と云う名称の名付け親であり、樺太の文字上の命名者でもあった。
 嘉永二年(1849)三十二歳の時に松前から青森に入り、八月十九日に十和田山に参詣
した。その後ハッカノ坂から白沢に下り鹿角に入った。このことは『鹿角日誌』にまと
められている。
 
八月 十九日 発荷・白沢・銚子の滝・大湯を通り、毛馬内泊。
   二十日 泉沢恭助から迎えられ、泉沢家へ引越す。文人たちが尋ね来り、夕方は
       町中を見物に出る。名物として紫木綿・麻・紫根・鹿角霰を紹介し、古城
       跡、仁叟寺・芦名沢・古館・萬屋・四ツ谷・牛馬長根・子坂・鳥渡・神楽・藤原・
       不動堂・七段滝・ヲサルベツ・沙子沢・野口について記述。
  二十一日 濁川泊、豆腐冷奴ヒヤヤッコと濁酒を振舞われる。古戸部・新斗部・若木立。
  二十二日 畑腰・小坂・岩坂・毛馬内泊。
  二十三日 前川(毛馬内)・大地・大稲坪・月山・米山・荒沢稲荷社・馬鍬平・白根金山・
       石野・大欠・岩の脇・セリ石(セタ石)。
  二十四日 毛馬内滞留、瀧氏宅で蕎麦を振舞われる。
  二十五日 毛馬内出立。大湯川・古川・狭布の里・観音堂・錦木塚を訪れ、古川村角兵
       衛蔵書『鹿角縁記』『錦木塚縁記』を書写する。涙川・松桂ケ谷・紀伊の
       国坂・金勢明神社渡し・神田・室田・冠田・鶴田。
       花輪を経て尾去沢を訪ねる。米代川・橋番・木山方・銅山川・蟹沢・瓜畑・笹
       小屋・稲荷社・神明社・鹿沢番所・大本番・銅山奉行勧番所・鎮守稲荷社・七曲
       ・石畳・天王山・大本番・観音庵・中沢・山神社・田郡。青山庄蔵方に宿る。
  二十六日 セリ場・勢沢・セリ場・山神社・愛宕社・元山・五十枚・西道金山・八聖山・赤沢
       獅子堂・水晶山・夏山長根。
  二十七日 鋪中見物。自然銅、紫水晶を見る。
  二十八日 田郡出立、中沢の峠まで送られる。花輪を経て玉内・大里・歌内坂・小豆沢
       ・松田・川辺・ヲサナイ村・養老山喜徳寺・五ノ宮岳・一ノ渡・大崕・天狗橋・湯
       瀬。
       その後、阿仁の端、十鎖・左志内・折壁・番所・しとろ・田山を経て盛岡へ向
       かった。
 
 以上のように鹿角に滞在した十日間に、各地を尋ね多彩な事項を詳しく記述している。
また地形の概観を絵図に示しており、江戸時代末期の鹿角の民俗を知ることの出来る、
優れた紀行文である。
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