131 「義経千本桜(抄)」
 
△北嵯峨の段
 君が代や、蘭省の花の時、錦帳の内にかしづかれし、小松三位維盛の御台若葉の内侍、
若君六代御前、平家都を落ちしより、いまは廬山の隠れ里、北嵯峨の草庵に、親子もろ
とも身を忍び、仕馴れぬ業も仏の行と谷の流れを水桶に主の尼と差し荷ひ、庵の内に立
ち帰り
 「これ申し御台様、わしが一日たが/\するを笑止がって、荷ひの片端お手伝ひなさ
れ、それ/\お肩が痛さうな、時世とておいとしぼや、あれ、なにを聞いてやら六代様
のにこ/\と笑ふてぢゃ、ようお留守なされたなう」
と、ほた/\言ふてあしらへば御台所も打ち萎れ
 「知りやる通り夫の維盛様、都を開き給ひしよりこの庵に親子もろとも、なが/\の
世話になるも、そなたがむかしお館に奉公しやった少しのゆかり、維盛様も西海の軍に
海へ沈みお果てなされたとも、また生きてござるとも、様々の噂なれども、都をお立ち
なされた日を、御命日と思ふてゐる、ことに今日は舅君重盛様の御命日なれば、心ばか
りの香花とって、閼伽の水もそなへんため、手づから水を汲みました。取りわけこの月
はお祥月、むかしの形で回向せば、せめて仏へ追善」
 
と、狭布の細布身せばなる、さもしき小袖ぬぎ捨てゝ卯の花色の二つ襟、うきに憂き身
の数々は、十二単の薄紅梅思ひの、色や緋の袴、いでそよもとは大内に、宮仕へせし、
晴れの衣、引き繕ひ、まき絵すったる手箱より重盛公の、絵像を取り出しさら/\と、
仏間にかけて手を合はせ、小松内府浄蓮大居士、仏果、菩提と回向にしばし、時移る外
は春めく物売声、菅笠、加賀笠、ゆす/\一荷打ちかたげ
 「笠をお召しなされぬか」
と、門口より差しのぞけば尼はおどろき仏間のあひの明り障子を立ち切って
 「ヲヽとでもない、尼のうちに菅笠がなんでいろぞいの胡散な和郎ぢゃ」
としかられて
 「アヽイヤお気遣ひな者でなし、私でござる」
と笠取って、入るを見れば小金吾武里御台所は飛び立つぱかり
 「さあ/\こちへ」
とありければ小金吾も手をさげて
 「まづは御台様にも御健勝、ほゝう、若君も御機嫌よき御顔を拝し、拙者めも大悦つ
かまつる」
としばし涙に暮れけるが
 「拙者めも御貧のため、思ひついたる笠商売、前髪立ちのこの小金吾、なにが仕つけ
ぬ商売なれば、御堆量下さるべし、さて、まづ申し上げたきは主君維盛卿の御身の上、
いまだ御存命にて高野山に御入りと、たしかなる都の噂、なにとぞ拙者も、若君のお供
をして高野へ登り、御親子の御対面」
と聞きもあへず御台は夢見し心地にて
 「なにわが夫の高野とやらんに生きながらへてござるとや、それは嬉しやありがたや
六代ばかりと言はずとも、女子の上らぬ山ならば、麓まで、みづからも同道せよや武里
」
と、喜び涙にくれ給へば
 「ヲヽ、お嬉しいはお道理/\、わたくしもお供したけれど、足手まとひな年寄尼」
 「それならば日のたけぬうち一時も早いのが」
 「ヲヽなるほど/\寸善尺魔のなきうちに、御親子ともに御用意」
と、急ぎ立ったる折こそあれ表のかたに人音足音、尼は心得いつもの通り仏壇の下戸棚
へ、御台親子御押し入れ突きやるその間もなく朝方の諸太夫猪熊大之進、家来引具し柴
の戸踏み退けどや/\と乱れ入り
 「この庵室に維盛の御台若葉の内侍、倅六代もろともにかくまひおくよし、注進によ
って召し取りに向ふたり、いづくに隠せしありやうに白状せよ」
と、星をさゝれて主の尼、はっと思へど素知らぬ顔
 「これはまた御難題、縁もゆかりもなき人をかくまふ筈もなし」
と、言ふにそばから小金吾武里
 「それは定めて庵室違ひでござりましょう、ほかを御詮議あそばせ」
と聞きもあへず
 「この前髪の青二才、うぬ何奴」
 「いやわしは菅笠売り」
 「ヤア、あきんどならば、とっとと帰れ、この年寄尼めを奥へ連れゆき責めさいなん
で白状きせん」
と、主の尼が小腕取ってぐつと稔ぢ上げ
 「それ家来ども、拷問せよ」
とあらけなく、引っ立て/\、一間の中に入りにける小金吾は気も気ならず、なんとせ
んかとせんと、奥口うかゞひ隙間を見て、御台親子を出し参らせ
 「さいはひの菅笠荷」
と、細引かなぐり、ふた押しあけ、荷底に二人を入れ参らせ、旅の用意の風呂敷包み、
重盛公の絵像まで、取っては押し込み、さらへ込み
 「してやったり」
とうなづきつ、心も空に荷を打ちかたげ行かんとするを二人の家来走り寄り
 「ヤア、この荷底に挟まれた女の着る物、御台親子に極まった」
と、立ちかゝる両人が、肩骨つかんで引き退くる
 「ヤア詮議させぬは曲者」
とすらりと抜いて斬りかゝる引っぱづし/\朸を振り上げ弓手馬手に叩き伏せ、急所々
々を力にまかせ叩きのめせば二人の家来、目鼻より血を出し、のた打ちまはって死して
けり
 「敵の帰らぬそのうちに」
と、荷を打ちかたげ声張り上げ
 「菅笠加賀笠、かさ編笠」
網をのがれて
 
 
△語句の解説
 「狭布」は「奈良・平安時代、陸奥の国などから調や庸の代物として貢納された、幅
のせまい布」。
 「細布」は「ホソヌノ。幅のせまい布。奥州の特産であった」。
 「狭布の細布」は「ケフノホソヌノ。同義語を二つ重ねたもの。歌語として『今日』
をかけ、また、幅もせまく、丈も短くて胸をおおうに足りないところから、『胸合はず
』『逢はず』の序詞とする」。「むかしの形」と対。
 「身せば」は「身狹。衣服の仕立て方の、身ごろの狹い事」。「身ごろ」は「衣服で、
袖・衿・衽(おくみ)などを除き、体の表と背面を被う部分。表背とも各二布(ふたの
)ずつでできている」。「狭布」、「細布」、「身狹」は縁語。
 
△義経千本桜ヨシツミセンボンザクラとは
 浄瑠璃の一。並木千柳ほか合作の時代物。1747年(延享4)竹本座初演。義経伝説と平
家没落の哀史とに取材。義経と静御前との愛に、平家の落人知盛・維盛・教経を主要人
物としてあしらい、佐藤忠信をもからませる。
 歌舞伎にも入り、「渡海屋」「鮓屋スシヤ」「狐忠信」などの段は有名。
 
△義経千本桜の構成
大序 仙洞御所の段 
   北嵯峨の段 
   堀川御所の段 
二段目伏見稲荷の段 
   渡海屋・大物浦の段 
三段目椎の木の段 
   小金吾討死の段 
   すしやの段 
四段目道行初音旅の段 
   河連法眼館の段 
 
参考リンク[義経](BIGLOBEサーチによる)
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