『国典類抄(抜粋)』 延宝五年七月六日 一、今度御論地相済、為御祝義上々様へ御肴指上候面々 光聚院様江(義隆夫人) 御前様江 若殿様江 壱岐守様江 同十二日 一、御検使設楽市左エ門・中山茂兵衛殿へ御礼の御書付并晒布廿 疋、黄金馬代十両二種、壱荷宛持参候処、御返進被成候 九月十日 一、引渡・廻座・諸番頭・諸役人・諸物頭・御境目拠人共へ御料理被 下候 十月二日 一、九月十三日引渡・廻座・諸物頭・諸役人ニ御振舞被下置、御加 増、御褒美被下置候よし申来候 御給 五十二種 壱荷 佐竹石見、御小袖 三 塩谷民部 御加増 百石 小川九右エ門、御加増 五拾石 井口織部 山役人 御加増 三拾石宛 大館 岸弥三右エ門、泉杢左エ門 十二所 小川郷右エ門、岡本円左エ門 銀子 拾枚宛 大館 小林内記、泉惣右エ門 十二所 忍六郎右エ門、曲木源兵衛 拠人 御知行 八拾石 沢尻村 刑部左エ門 同 六拾石 沢尻村 斉藤和泉 同 四拾石 茂内村 甚平衡 同 五拾石 扇田村 近右エ門 同 四拾石 十二所 八郎右エ門 同 五人扶持 味噌内村 兵蔵 絵師 弐人御加扶持宛 今村久内、津村伝兵衛 右両人ハ、去春秋田・南部双方百姓共立会之絵図相認、当春 も御検使衆御下り之砌、御境目迄両人共ニ参候、依之御加扶 持被下之候 大工 銀子 三枚 茂又金右エ門 当春御検使衆御下りニ付、御宿板其上山中御小屋なと為拵候、 依之被下之候