「秋田県庁所蔵の古文書」
 
一、慶長十年(1605)、長木沢(大館市)の内中滝で、大館村、
片山村、沼館村右三村の者が材木を取っていた処、南部領の大地
村、小坂村より大勢押しかけ、三ケ村の者共を追い払い、右の材
木を南部領に持ち運んだので、三ケ村の肝煎が、大地村、小坂村
の肝煎に交渉したところ、南部の肝煎の申すには、中滝は当領で
あるのに、勝手に入り込んで材木を取っていたため、追い立てた
のだとの返答であった。
一、慶長十一年(1606)米沢次郎兵衛と申す者が、当領の赤沢水
上で金掘り中のところへ、南部領から大勢参り、ここは南部領だ
と追い立てた由で、赤坂下総から毛馬内靱負へ申入れをしたとこ
ろ、靱負の返答には、赤沢は当領で、白根金山の裏山ではないか
との主張であったとのこと。
 また、同年南部領の柴内与五右エ門から大館の名主斉藤和泉の
ところへ、山銭弐百貫文を出して、深沢(大館市)で小羽柾コバ
マサを取り出したとのことである。
 
鹿角の時は流れ行く
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