[鹿角の時は流れ行く]
〈鹿角中央〉
06「鹿角街道」
江戸時代(近世)の鹿角街道は、盛岡から寺田、荒屋、田
山を経て湯瀬に至り、大里、花輪、神田シンタ、松山、土深井
ドブカイを経て秋田領沢尻へ至る。
天下道の一つとして、来満街道を通った一行は、大湯から
宮野平村、倉沢村、猿ケ野村、浜田村を経て古川村錦木塚へ
出た。
大湯道は、花輪小深田コブカタ、柴内村、新斗米村、小枝指
村、寺坂村を経て大湯村に至る。
鹿角昔話[09武士と娘]
07銅山道
銅山道とは、花輪から尾去沢銅山、十文字を経て土深井へ
至る道筋である。
MI10052土深井裸まいり
〈鹿角北部〉
08「来満街道」
来満街道は「殿様道」とも呼ばれ、御用銅輸送の道であり、
八戸方面の海産物や奥塩・上方塩の塩の道であり、また綿や木
綿、雑貨流入の道でもあった。
太平洋の海産物はこの街道を通って鹿角に入り、更に比内
(北秋田郡)へ移出されていた。
来満街道(本道)は三戸(青森県)、田子タッコ、関、郷境
(毛文字坂)、大柴峠、上折戸、大湯を経て、腰廻コシマワリ、
毛馬内へ至る道である。
このほかに、不老倉銅山稼業により、来満峠越えと不老倉
峠越えもあった。
鹿角物語[55マタギ伝説「左多六とシロ」]
鹿角物語[6103折戸の北畠伝説]
09津軽への道
津軽への道として、毛馬内から小坂、濁川を経て津軽碇ヶ
関へ出る道筋があった。
津軽への道
10大館道
大館道は、雪沢への峰越しの路である。
菅江真澄は、出羽の雪沢から小玉峠の日暮しと云う峰越し
路を踏み分け、烏帽子(母耶モヤ)山の麓を瀬田石セタイシに出て、
毛馬内に着いたと云う。
小坂川の谷と比内長木川の谷を結ぶ通路もあったと云う。
また花輪より毛馬内、大地から楢柏境目を越えて秋田領新
田関へ出る道もあった。
雪沢への道
瀬田石越
鹿角物語[5905瀬田石]
[次へ進む] [バック]