[鹿角の時は流れ行く]
08 平泉文化の進出
[平泉文化の進出]
01七かまど
後三年の役(1083〜87)において、叔父清原武衡タケヒラと共
に、源義家と藤原清衡の連合軍を金沢柵に迎え撃って敗れた
清衡の異父弟家衡イエヒラの妻子が、僅かな従者と共に逃避の旅
を続け、ようやく鹿角へたどり着いて、この「七かまど」の
岩窟の中に潜み住んだが、たちのぼる竈カマドの炊煙に人々の
噂が広まる頃、またいずこにか去って行ったと云う。
鹿角物語[13ななかまどの伝説]
02だんぶり長者
鹿角における最古の寺院と思われる小豆沢大日堂は、浄法
寺(岩手県)の天台寺と同様、平泉文化以前からあったと推
定されると云う。 天台寺の成立と共に伝来した大日信仰は、
その説話として「だんぶり長者」などの一連の伝説を生んだ
ものと考えられている。
これらの天台信仰は修験道の形で広く鹿角の地に行き渡り、
小豆沢大日堂(大日霊貴神社)・長牛大日堂(大日霊貴神社)
・中台寺(中大地)大日堂(及び別所大日堂・独鈷大日堂)、
いわゆるこれを「五所之大日」と云う。
鹿角物語[52だんぶり長者伝説]
長牛老人クラブ区域内の神様
03鹿角路
藤原三代、つまり平泉百年の経営は、糠部・鹿角・比内を経
て津軽へと進出した。
ところが、湯瀬渓谷は近世になるまで、千仞の谷と畳々た
る奇岩をもって人馬の通過を阻んでいた。そこでその頃はお
そらく、米代川上流の兄畑(岩手県)から兄川の谷を遡り、
袰部ホロベ越えをして鹿角の熊沢川へ出たのである。そして夏
井・長牛を経て、桃枝ドウジへ至り、巻山峠を越えて比内町大
葛(北秋田郡)へ下り、「肥内郡贄の柵(現大館市二井田付
近)」へと続いていたと云う。
鹿角物語[0451長牛城の攻防戦]
[次へ進む] [バック]