18a 国語に関わる和歌
 
[和文]
△上古文
〈参考〉中臣壽詞
現御神アキツミカミと 大八島国しろしめす 大倭根子ネコ天皇スメラが御前ミマヘに 天神アマツカミの壽
詞ヨゴトを 称辞タタヘゴト定め奉らくと申マヲす(中略)
中臣ナカトミの遠トホつ祖オヤ天児屋根命アメノコヤネノミコト 皇御孫尊スメミマノミコトの 御前に奉仕ツカヘマツリ
て 天忍雲根神アメノオシクモネノカミを 天の二上フタカミに奉上タテマツリアゲて 神漏岐カムロギ神漏美命
カムロミノミコトの前に 受け給はり申しに 皇御孫尊の御膳ミケつ水は うつし国の水に 天つ
水を加へて 奉むと申せり
事教へ給ひしに依て 天忍雲根神 天の浮雲に乗りて 天の二上に上り坐マして 神漏岐
神漏美命の前に申せば 天の玉櫛タマクシを事依コトヨサシ奉て この玉櫛を刺立てて 夕日より
朝日照るに至るまで 天つ詔戸ノリトの太詔刀言フトノリトコトを以モて告ノる
かく告らば まちは弱韮ワカヒルに ゆつ五百篁イホタカムラを生出オヒイデむ その下モトより 天の
八井ヤイ出でむ こを持ちて天つ水と聞こし食メせと 事依奉りき(下略)(台記別記)
 
〈参考〉出雲国造神賀詞
省略([悠久]/範例祝詞の項参照)
 
〈参考〉拝家之神棚詞
此コレの神牀カムトコに神籬ヒモロギ立てて 招ヲギ奉り坐マセ奉りて 日に異ケに称へ辞竟ヲへ奉る
伊勢両宮フタミヤ大神等オホカミタチを始め奉り 天御神アマツミカミ八百万ヤホヨロヅ国御神クニツミカミ八百万
の神等 大八島の国々島々所々の 大小オホキチヒサキ社々ヤシロヤシロに鎮まり坐す 千五百万チイホ
ヨロヅの神等 其の従へ給ふ百千万モモチヨロヅの神等 枝宮エダミヤ枝社エダヤシロの神等 そほど
の神の御前ミマヘをも慎み敬ひ 過アヤマチ犯す事の有るをば見直し聞直し坐して 各々も掌分
シリワケ坐マシマす 御功徳ミイサヲの随マニマに 恵賜ひ幸サキハへ給ひて 神習カミナラハしめ道に功績イサヲ
を立てしめ給へと 畏カシミみ畏みも拝オロガみ奉る(毎朝神拝詞記)
 
〈参考〉慶雲四年四月壬午、詔曰
天皇スメラガ詔旨オホミコトラマと勅ノリタマハクく 汝ミマシ藤原フヂハラノ朝臣アソミの仕奉ツカヘマツル状サマは 今
のみにあらず 掛けまくも畏カシコき 天皇スメラガ御世御世ミヨミヨ仕奉て 今も又 朕アガ卿
マヘツキミとして 明アカキ浄キヨキ心以ちて 朕アレを助タスケ奉り仕奉る事の重イカシき労イトホシき事を念
オモほし坐す御意ミココロ坐すに依りて たちまひてややみ賜へば 忌忍イミシヌフ事に似る事をし
なも 常ツネ労み重み念ほし坐さくと宣ノリタマフ
又難波の大宮に御宇アメノシタシロシメシシ掛けまくも畏き 天皇命スメラミコトの 汝の父藤原大臣オホオミ
の 仕奉らへる状をば 建内タケシウチノ宿禰スクネノ命の仕奉らへば 事と同じ事ぞと 勅ノリタマヒ
て治ヲサメ賜ひ慈メグミ賜へり
是ココヲもて 令文ノリノフミに載せたるを 跡として 随ノリノまに長く遠く 今を始めて 次々
賜はり往かむものぞと 食封五千戸ヘビトイチヘ賜はくと 勅ノリタマフ命オホミコトヲ聞キコシメサヘト宣ノル
                             (続日本紀 三文武)
 
△中古文
枕とて草引むすぶこともせじ 秋のよとだにたのまれなくに
忘れては夢かとぞ思ふおもひきや 雪ふみ分けて君をみんとは(伊勢物語 下)
 
かさゝぎのわたせるはしのしものうへを よはにふみわけことさらにこそ
                               (大和物語 上)
 
むつごとをかたりあはせんひともがな うき世の夢もなかばさむやと
明ぬよにやがてまどへる心には いづれを夢とわきてかたらん(源氏物語 十三明石)
 
わたつみのゆふ汐のぼる隅田川 月のそらまで舟もゆかなむ(加茂翁家集 四雑文)
 
△近古文
さえさえしあらしを谷に吹とめて 夏ともしらぬさ夜の中山
                         (あづまの道の記 藤原光広)
 
此春もかはらでゆかむ七十に あまる五つの道をたづねて(駿台雑話 五)
 
△整句文
池水にみぎはの桜ちりしきて 波の花こそ盛なりけれ(平家物語 十二)
 
古もかゝるためしを菊川の 同じ流れに身をや沈めん(太平記 二)
 
△和漢混淆文
吉野山峯の白雪ふみ分て 入にし人の跡ぞこひしき
しづやしづしづのをだまきくりかへし 昔を今になすよしもがな(吾妻鏡 六)
 
△訳漢文
もろともに月見んとこそ思ひつれ かならず人にあはむものかは(唐物語)
 
△戯文
升の口広きといへど今更に つぼつぼ口に云まけにける(滑稽雌黄 三)
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