13e 手本歌/現代
長沢美津
庭の草抜けばこたふる手ごたへに流るるいのちわれにも草にも
をさなごは傘の下にて抱かれし母親に目鼻ひたと押しつく
もろ手にて水を結びて手を洗ひ今日の一日を終りとなさむ
日々を使ひならせる包丁・鋏にて思ふままに裁ち切りきざむ
とぎおへて水に沈める白米の明日たく飯イヒのひとつかみ
ことなくて冬をこえたる夫のため単衣襦袢ジュバンに衿かけてをり
たあいなく食物の話にうつりゆきふるさと同じきしあはせわかつ
ふくらめるつぼみ蕾ささぐる幾株の彼岸花にみだるる稲妻
日暮れにもつぼむことなき梅の花月の光をこばまずうくる
はろばろに寒星冴ゆるふり仰ぐわれのうなじに触るるひらめき
今日の日に見しことききしことあますなく夕焼け空につつまれてゆく
からだのどこにひそむとはかられぬ心のありて無限を恋ふる
肉体の疲れはてたるきはに見る幻あらばわれはなにをみる
素手のわれいまなにも持ちをらず心のわかつばかりなり
としをかさねその身にならねばわからぬと思ふことの多くなりたり
なすべきを共にはかりて別れたるそれよりのちの時のうつろひ
傍に語りゐる声夫も子もききわけがたくものを言ひ居り
脈うたずなりし夫の身に息たえず命つなぎしその日のまぼろし
旅ゆきし夫をしばらくはるかなる地球の向ふ側に置きて思はむ
わが夫はアメリカにても朝々に剃刀の刃をとぎゐるならむ
時間表たしかめて見よと夫のいふ旅たつ吾に言ひきかす声
ゆづりあふことなどありて夫病みてよりたがひに心を養ふ
たちあがりし夫の身を支ふる一本の杖をえらびゐる今日のいとなみ
おのが齢うつろひてゆく日々ニチニチをはたしてかとうけとめゐるや
踏みこえてふたたびかへらぬわかれ目にうづめつくして白き雪道
雪のうへにのこりしつひの足跡を見にゆかむとしてひきとめられぬ
陽がさして雪が消えゆくひとしずくあとなきことを思ひつづくる
速スミヤカに時がたつなり逝きし子の声かと思ふそら耳ばかり
鶏小屋に餌を与へる子の姿金網めぐらすなかにたち見ゆ
自らに土にかへりてゆきし子を命のかぎりわれは思はむ
踏みて立つ熔岩のうえなだれ去る阿蘇の煙のゆく手をしらず
今日の日も生きながらへるうつしみの心しづかにあらしめたまへ
ただよひてけむらひてゆくたえ間なきとらへがたなき雲・霧・煙
合歓ネムの花一夜をねむる佐渡ケ島花のとぢたるときに眠らむ
何を何を呑みつくし来し信濃川海にいるきはの底なき濁り
幸にも負くることあり羽うちて山鳩鳴きあふ声に聞きいる
雨の道ニコライ堂の鐘の音が長くゆるやかにて心ゆさぶる
救ひがたく救はれがたきはそのままに空よりひろがる夕暮れの鐘
しんとして雪の降るとき目をみひらけばふるさとの空が見えくる
しぐれくる空の晴れ間に仰ぎみる醫王イオウ連山そのあとさきの山
生ひたちしふるさとの家にてきく雨の音縷縷ルルと降りたり心の隅まで
ずり雪がひびきをなして落つる時心ゆるしておどろきており
陽がさして雪が消えゆくひとしずくあとなきことを思ひつづくる
速に時がたつなり逝きし子の聲かと思ふそら耳ばかり
さす指の先をどこまでのばすなら心しづまるところにとどく
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